70代の義母がくも膜下出血で倒れ、緊急手術を受けたものの意識は戻らず、その後施設に移ってからも面会に行く勇気が出ないという40代後半の女性の悩みについてのお話です。
元気で優しかった義母の変わり果てた姿を見たくないという気持ちは、義母への愛情が強すぎる証かも知れません。いつも当たり前にそばにいて、明るく元気に振舞っていた義母の表情や声、仕草に癒されていたのに今はいない、その現実とのギャップが大きすぎるため、義母に会う勇気がないのは無理からぬことだと思います。
お見舞いに行っても、義母の一挙手一投足がフラッシュバックし、居たたまれない気持ちになると想像するでしょう。また、何もできない、見守るだけの虚しさとはかなさに、さいなまれるかも知れません。
しかしながら、人は意識が無くても、五感を通して気配を感じることができるといわれています。話しかけたり、手をさすったりすることで、反応はなくても伝わっていると言われています。寝たきりの義母の心境は誰にもわかりませんが、家族ができる唯一のことは寄り添うことだけかもしれません。義母が今、何を望んでいるのか、何をしたいのか、それを知ることは到底できませんが、面会することで何かを感じることができかも知れません。
思いつくことを行動に移すことが、後々の後悔を回避することは間違いないと思います。一方において、この先意識が回復するかも知れませんが、最後を迎えるまでしっかり見守るのが、お世話になった義母への恩返しになるように思います。この世に生を受け、一生懸命生きてきた一人の女性と出会えたことは大変すばらしいことだったはずです。
縁があって一緒に過ごした時間を、心を豊かにしてくれた時間に感謝し、義母を最後まで見守るのは、義母のためというより、自分自身のためだと考えることも出来ます。この話は、自分たちもまた、いつかはその姿になり、この世を去っていくという現実を見せているように思います。
誰しもが例外なく老い病気でこの世を去っていくことを頭で理解していても、現実を目の前にすることで、自分自身の生き方を考える機会ととらえることが良いように思います。寄り添うことは義母ではなく自分のためです。立ち止まってゆっくり考える機会が今なのかも知れません。何にでも向き合って生きることが、次に繋がるように思います。
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