現在、わが家は妻と妻の母の3人暮らし。
義母は92歳、私も妻も60半ばを過ぎ、一緒に生活して40年が過ぎ、
卒業と同時に結婚し45年間経ったことに驚きでもあります。
子供ができ4人家族になっても、義母との同居で5人になっても、
それぞれの距離感は分散され、平穏な日々だったように思います。
また、妻と2人だけの生活においても、
口論になったことは一度も無かったよいに思います。
私の思い過ごしかも知れませんが・・・
見知らぬ勤務地での生活が、適度な距離感を生んだのかも知れません。
一方、子供たちの成長にも、適度な距離感が大事だと思ってきましたが、
子供が巣立つとともにその役割は終えました。
退職後の生活は、義母と妻と3人の距離感に異変が現れました。
妻にとって、幼少時からの母親との強い絆が距離感を縮めました。
今までは気にならなかった義母の食事スタイル、
ズルズルとすする音
手が汚れても気にならない
トイレの汚れ
浴槽が汚い
服を着替えない
言ったことを覚えていない
義母の仕草や気質まで気になるようになりました。
妻が甲斐甲斐しく接するほどに、
期待とは違う義母の反応に心が揺れるようになりました。
結婚した時から、義母の行動は何も変わっていないように思いましたが、
親子のそれぞれの違う経験が、人をみる角度を変えてしまったようです。
その結果、私が頂角になり、義母と妻が同じ長さの二等辺三角形になることが、
今の家族構成にはベストな距離感のように思いました。
人と人が一緒に生活することは、やっぱり難しいようです。
その難題を克服することで、
人は玉石混交(ぎょくせきこんこう)のごとく成長すると言いますが、
親子でも違う人間(魂)が一緒に暮らすことは、そもそも大変!であり、
親子が一緒に生活するのであれば覚悟が必要だということだと思いました。
血縁の二文字が距離感を縮めてしまい、
親子がゆえに感情のおもむくまま言葉を使ってしまう。
可愛さ余って憎さ百倍
親が子を選ぶんじゃなく、
子が親を選んで生まれてきたと考える方が理に適っているかも知れない。
最初に越えなければならない、克服しなければならないハードルは親子の血縁のようだ。
子供は自分の親を乗り越え成長するため、自分が生まれる環境を選び、
自分の親もまた、自分の親を越えようと思って生まれてきており、
楽に生活できるところには生まれて来なかったと考える方が自然かも知れない。
いつの時代も、親は踏み台として飛躍するための反面教師であり、
親もまた同じ時代を生き仲間だと考えると面白い。
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