妻が友達から、「70歳になったら、健康診断を止める」と聞いてきた。
70歳を機に、「健康診断で、病気を探すのを止める」と言われたようだ。
今まで健康だった。これからも多分健康! だから必要無いとの思いか?
健康診断をしても、病気に罹るときは掛かり、無意味との思いか?
手遅れでも、霊媒師や呪術師に、祈祷して貰う方がいいと思ったのか?
「もう、どうでもいい!」と自虐的に映ってしまうが面があるが、
その考えに至った理由が、何だったか聞いてみたい気もする。
一方私たち高齢夫婦も同じ年代ではあるものの、
人間ドックに、すでに、年一回通い続け8年になる。
わが家は、胃カメラやレントゲンの読影を、
一人の医師の診断に偏らないよう、人間ドックの受診先を変えている。
すでに5軒の病院で検査を受けたが、問診や触診の違いに驚いてしまう。
出来る限り見落としが無いよう、自己防衛し万全を期している。
以前、会社で行った健康診断の1週間後に同僚が亡くなった。
営業先の駐車場で腹痛が起き、その日の午後、
腹部大動脈瘤破裂であっけなく亡くなった。
あのときの健康診断は、一体何だったのか?不信感が募った。
どれだけ検査をしても、逝ってしまうときは逝ってしまう。
運命だったのかも知れないと、諦めるしかなかった。
亡くなる1週間前、仕事終わりに打ち上げをしていた。
働き盛りの50代の男には珍しく「初めて日本酒を口にします」と言った。
今までビールしか飲んだことが無かったが、折角の機会なのでと言って、
初めて日本酒を口にし、「あぁー美味い!」と言ったのが分かれの盃になった。
もしも、貴方はなぜ、健康診断に行くのか?と聞かれたら、
「今まで健康でいられたことに感謝する機会にしたい」と言うでしょう。
また、健康である証として日々トレーニングを重ね身体に感謝。
さらに、もう一つの感謝の印として、唯一のボランティア活動で献血に。
最も嫌いな注射を打つことで、
痛みと恐怖を味わい健康であることを、再認識する切っ掛けにしている。
もしも、病気で入院したら、注射の痛みなど気にすることは無い。
病気を治すための注射に、痛みの恐怖など有るはずも無い。
健康だからこそ、この痛みに感謝したいと、思う機会にしている。
健康診断で、検査結果に振り回されたく無いという思いがある一方、
病気が見つかれば、家族との関りや新たな思い出が出来るかも知れない。
どう生きるか?いつ還って逝くか、誰も分からない。
健康診断を受けないのは、潔い判断かも知れないが、
自分の都合で還って逝くことが出来ない現実のなかで、
今できることは、自力の身体に感謝し自分の身体を粗末にしないこと!
この身体は最後の時がくるまで、労わり守っていかなければならないと思う。
コメント