20代の男性が、亡くなった祖父母との会話をもっとしておけばよかったという友人の話を聞き、現在病気の祖父母にどのような言葉をかけたらいいのか分からず、悩んでいるという投稿がありました。小さい頃から頻繁に祖父母宅を訪れていたものの、自分から積極的に話しかけることができないまま月日が経ち、いざ祖父母が病気になると何も言葉を見つけられないことに、やり切れなさを感じているようです。
一般的に、年上の人との会話に難しさを感じるのは多くの子供に共通する感情ではないでしょうか。むしろ、子供ながらに大人の空間に入り込むことを「出しゃばる」と感じ、控えめに振る舞おうとする思いがあったのかもしれません。そのため、男性が感じている悩みは、単に会話ができなかったことへの後悔ではなく、身近な人の死に対する恐怖が引き起こしたものだと考えられます。人は誰しも死に至ることを知識としては理解していても、いざ現実に直面すると受け入れることが難しく、どうしようもない感情に戸惑うことがあります。
しかし、幼少期から頻繁に祖父母を訪問していたという事実は、祖父母にとって何よりも喜びだったに違いありません。たとえ多くの会話がなくても、孫がそばにいること自体が彼らにとっては十分だったのです。そのため、会話ができなかったことを悔やむよりも、訪問を続けてきた自分の行動が、祖父母への思いやりとして確実に伝わっていたと信じていいのではないでしょうか。
祖父母との別れを通じて、自然の摂理である「死」を受け入れることの難しさを経験しているのかもしれません。頭では理解していても、心が追いつかないことは当然のことです。しかし、この経験をきっかけに、自分自身にも死が訪れることを認識し、どう生きるべきかを考える時間を持つことが大切です。死は単なる他人事ではなく、自分自身の人生を見つめ直す重要な契機となるのです。「いつか自分もその身になる」ことを理解し、何のために、誰のために生きるかを早く決めたいものです。
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