60歳で定年退職したとき、今住んでいる家を終の棲家にしようと決めてから、
義母に、義父のお墓に私たち夫婦も一緒に入れて欲しいとお願いしたところ、
二つ返事で快諾してくれたので、
亡き父が買ってくれた墓地を、解約することにしました。
続いて、義母名義のお墓を私の名義に変更しました。
お墓の所有者が高齢化していることから、
お寺は後継者の確認と名義変更を勧めているとこでした。
義母は、子供たちがお墓を見守ることに大いに安心したようです。
幼い頃に父が用意してくれた墓地を40年以上に渡って、
母や兄夫婦が墓地の管理を行ってきたことに感謝しきりです。
本来であれば家を構えた30年以上前に、遠方のお墓は解約すべきでしたが、
将来住むところを迷っていたことで、墓地を手放すのを躊躇しました😅
長女は市内の長男に嫁ぎ、次女はフランスでフランス人と結婚しており、
京都から300km、フランスから何千キロ離れた地にある墓地を、
娘達に墓守させるつもりは、元々ありませんでしたが、
もっと早い決断が必要でした。
東日本大震災で、至るところで墓石が真っ二つに割れていました。
自然災害の前では無力であり、形あるものは無くなると実感しました。
お墓は先祖を偲ぶ架け橋であり、感謝と報告の場所という人がいますが、
私と妻が亡くなったあと、三千世界を忙しく駆け巡っているので、
子や孫にはお墓に拘らなくても、
いつでもどこからでも、365日24時間聞き入れるので、
いつでもどこからでも、大丈夫だよ-^_^と言ってやりたいですね😅
一方、つい100年ほど前まで、一般的な人のお墓は、
土葬や、石や木の杭をおいたりして葬っていました。
一部の権力が亡くなったときだけ、墓は碑石(せきひ)を造り、
宇宙の五大元素、地・水・火・風・空になぞらえて五輪塔を造り、
権力の象徴を鼓舞し、極楽浄土を願ったようです。
しかしながら、還って逝く本人の成績は、因果応報として表れ、
墓の大きさや豪華さが、極楽へのチケットにはならないようです。
義母が所有しているお墓は、京都でも有数の四季折々の観光名所である、
清水寺の三寧坂(さんねいざか)にあり、
建物の中のお墓は、一年中快適で居心地がいい場所です😁
ちなみに日本には77,000の寺院、81,000神社があるようですが、
住職がいない寺も17,000あり、修繕費には数千万円もかかるとも言われ、
檀家も減り続ける中、寺も神社も経営を維持するのは熾烈を極めるようです。
全国1万寺を擁する浄土真宗本願寺派の43%が、
年収300万円以下であり、坊主丸儲けは遠い昔の話のようです。
一方で、墓じまいには数十万円から100万円単位でかかり、
墓の解体・撤去、遺骨の取り出し、開眼魂入れ、改葬手続き、
納骨供養、お布施、檀家解約、埋葬証明書など様々なお金がかかり、
想定外の費用に、お墓を放置してしまう檀家もあるようです。
最後に、人はなぜ葬式に行くのか?と祖父が言っていたことを思い出します。
それは、自分もいつかその身になる。その姿を忘れないために行く。でした。
生かされていることに感謝し、人々を幸福にするためだったようです。
お墓に執着すること自体が、仏教の教えには矛盾しているようですね😅
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