読売新聞の[人生案内]に、50代男性から「妻が時間にルーズで困っている」という相談が寄せられました。妻はフルタイムのパート勤務で、夫は自分が出勤してからモーニングコールで起こすのが習慣になっています。うっかり忘れると、「どうして起こしてくれないのよ」と責められる。美容院の予約も、決まった時間を過ぎてから家を出ることが少なくありません。
妻のおおらかな性格そのものを否定したいわけではない。人に大きな迷惑をかけなければ問題ないとも思っている。それでも「五分前行動」を大切にしてきた相談者にとって、長年続く妻の行動は、どこか心に引っかかる存在になってきました。ではなぜ、長い結婚生活を経た今になって、妻の時間感覚が気になり始めたのでしょうか。
妻が急に変わったわけではありません。むしろ変化があったとすれば、相談者自身の心境や環境なのかもしれません。定年が視野に入り、老後の生活を具体的に考え始めた。これからは夫婦で過ごす時間が増え、社会との関わり方も変わる。そんな節目に差しかかり、これまで目をつぶってきた違和感が、現実味を帯びて浮かび上がってきたとも考えられます。
あるいは、自分が妻より先に亡くなったとき、妻が一人で社会生活を送っていけるのかという不安から、今のうちに矯正しておきたいという思いが芽生えた可能性もあります。年老いていく妻を思い、老後をつつがなく過ごしてほしいという愛情からの行動だとしたら、その気持ちは決して身勝手なものではありません。
ただし、もしそれが「夫がいなくなってから困らないように」という思いであるなら、「いつまでもあると思うな親と金」という言葉が重なります。失って初めて分かるありがたさや不便さは、本人にしか学べないものです。それは妻自身の人生の課題であり、夫が先回りして教えられることではないのかもしれません。
人が気づき、学び、変わるタイミングはそれぞれ違います。たとえ夫婦であっても、人格や長年の習慣を強制的に変えることはできません。第三者が焦っても、問題は解決しないのです。
それでもなお、妻の時間の使い方を見直したいと願うのであれば、必要なのは矯正ではなく共有です。老後も社会と無理なく関わっていくために、「時間を守る」という行為がなぜ大切なのかを話し合い、納得したうえで一緒に取り組む。その姿勢が欠かせません。
もっとも、長年かけて身についた習慣は、簡単には変わりません。変えるには、身につけるまでにかかった時間の倍は必要だと覚悟することです。人生後半を楽しみながら、実験のつもりで向き合う。そのくらいのおおらかさが、結果的に近道になるのかもしれません。
几帳面な男性がおおらかな女性を好きになり、結婚し、ここまで共に歩んできた。今、妻に何を期待しているのか。では妻は、夫に何を期待しているのか。
長年連れ添った夫が、今になって「時間」を口にした真意は、結局のところ夫婦にしか分かりません。この違和感を、これからの人生を見据えて立ち止まり、語り合うきっかけと捉えること。それが、この相談に対する最も現実的で穏やかな答えなのではないでしょうか。

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