義母が「カギ」をかけ忘れないための衝撃の行動2023

人の死とペットの死、配慮のない一言にどう向き合うか

70歳からの始まり

大切な祖母を亡くした悲しみを上司に打ち明けたとき、返ってきた一言が「うちの猫も死んで悲しい」という言葉。人の死とペットの死を同列に扱われたことに深く傷いたのこと。上司は元々他人の気持ちをくみ取ろうとしない人で、「いつものこと」と思っていても、気持ちの整理がつかず、どうしたらいいかと相談が読売新聞の[人生案内]にありました。

人であれペットであれ、喪失の痛みは比較できるものではなく、ましてや、こちらが悲しみのなかにいるときに、配慮のない言葉を向けられれば、怒りや違和感が湧くのは自然な感情です。

一方で、動物の死と人の死をどう捉えるかは、人それぞれ異なります。ペットを家族同然に思う人にとっては、その死は人生の一大事ですし、逆に「人と動物は同列ではない」と考える人も少なくありません。どちらが正しい、間違っているという話ではなく、価値観の違いがそこにあるだけなのです。たとえば、同じ絵を見ても正面から見る人、斜めから見る人、遠くから眺める人では、受け取る印象は異なります。絵そのものは一つでも、見方は無数にあるのです。

感じ方の違いは、相手の人間性そのものを否定する理由にはなりません。社会生活とは、こうした違いの中で生きることの連続です。是か非か、白か黒かで裁こうとすれば、そのたびに心をすり減らしてしまいます。

相談者の苦しさは、「無配慮な人を許せない」という強い正義感からきているようにも見えます。それは決して悪いことではありません。しかし、自分の物差しに合わない人をすべて排除しようとすると、世界はどんどん息苦しくなっていきます。現実には、配慮に欠ける人、不器用な人、言葉選びを誤る人と共に生きていかなければなりません。

あなたの上司が、あなたの悲しみに寄り添えなかったのは、残念ですが「その人の限界」なのかも知れません。そこに過度な期待を重ねるほど、あなた自身が傷ついてしまうことを理解しなければなりません。

社会で生きるということは、自分の物差しに合わない人と関わり続けることです。是か非か、白か黒かで切り分けようとすると、心は常に緊張し、摩耗していきます。それはそれ、これはこれ、と一度距離を取り、出来事を客観視する力が心を守る盾になります。

人の死も、動物の死も、「別れ」であることに変わりはありません。その別れをどう受け止めるかは各自の課題であり、他人の表現に過度に執着すると、貴方自身が暗いトンネルに迷い込んでしまいます。

逃げるか、向き合うか。その選択の連続が人生の醍醐味であり、そのハードルを乗り越えることで希望の未来に近付きます。今の環境を受け入れることは、簡単ではありませんが、是々非々で向き合うことが自己実現に向かっていきます。 心を守るために必要なのは、相手を変えようとすることではなく、出来事を多角的に捉える力です。それは諦めではなく、自分をすり減らさずに生きるための知恵なのです。

義母が「カギ」をかけ忘れないために衝撃の行動2023

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