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京都浄瑠璃寺は清寂と清浄に包まれた上品な寺だった2021

目次

浄瑠璃寺は釈迦が生きた時代の根本仏教のお寺

京都の南の方にある奈良県との県境にある「浄瑠璃寺(じょうるりじ)」は、

仏の真実の言葉、真言(しんごん)の教えからくる、

片寄らない心の在り方「中道(ちゅうどう)」と、

正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の

「八正道(はっしょうどう)と、

迷いのこの世は一切が苦である「苦諦(くたい)」

苦の原因の煩悩・妄執である「集諦(じったい)」

執着を断つことが苦しみを無くす「滅諦(めったい)」

八正道の実践が悟りに至る「道諦(どうたい)」の4つの心理、

四諦(したい)」について、釈迦が生きた時代の教えを継ぐお寺だった。

浄瑠璃寺の名前の由来は、青色の天空に星がきらめき夜明け前の東の空から連想する

澄み切った清寂と清浄の世界からくる

金・銀・瑠璃・玻瓈・硨磲・赤珠・碼碯の七宝の一つ、

瑠璃(るり)=ラピスラズリ石からきている。

浄瑠璃寺は、京都木津川市の「当尾(とうの)の里」にあり、

当尾の里は古くは「小田原」と呼ばれ、山号で小田原山といい「小田原別所」と言われ、

平安時代後期興福寺の僧が、修行を行ったことから興福寺の小田原別所と呼ばれていた。

創建時のご本尊が薬師仏(やくしぼとけ)であったことから、

正式名称の「薬師瑠璃光如来」は、瑠璃という宝石のサファイヤからなる大地に住み、

住まいは、金・銀・瑠璃(るり)・蝦蛄(しゃこ)・瑪瑙(めのう)・真珠・玖瑰(まいえ・まいかい)」の7つの宝物から造られた、清らかで透き通った七宝(しっぽう)造りでした。

眼・耳・鼻・舌・身・意に惑わされず、病も、苦しみも無い、何の不足も無い、

清らかで幸せに満ちた浄瑠璃世界から、浄瑠璃寺の名前が付けられている。

浄瑠璃寺は国宝九体阿弥陀仏を有する九体寺(くたいじ)

世情不安の平安時代末期、極楽浄土信仰が高まり、

30か所程の九体阿弥陀堂が建立されたが、現存しているのは浄瑠璃寺だけである。

阿弥陀像は、中央に坐像の中尊を配置し、両脇に四躯ずつ等身大の阿弥陀像を配置、

木造漆箔の高さは、中尊が224.2cm 両脇8体が138.8~145.5cmあり常時拝観できる。

阿弥陀像はこの世での修行を終えた者が、還って逝く極楽浄土を9つに分け表した。

上品(じようぼん)中品(ちゆうぼん)下品(げぼん)に分かれ、

さらにそれぞれ、上生(じようしよう)・中生(ちゆうしよう)・下生(げしよう)と、

九品(くほん)に分けられ9体の仏像に表現された。

上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、中品上生、中品下生は生前善業を成した人、

下品上生、下品中生、下品下生は、生前に見勝手な生活で悪行を成した人と表現される。

現在、使われている上品(じょうひん)下品(げひん)はここからきている。

浄瑠璃寺は薬師如来像を本尊とする九体寺(くたいじ)

薬師如来は、正式に「薬師瑠璃光如来」と言われている。

人々の病気や苦しみを救う如来で、当時大衆の信仰を集めたのが薬師如来とされている。

聖徳太子が父用明天皇の病気平癒を願って薬師像を造ったりした。

天台宗の本尊は釈迦如来、真言宗の本尊は大日如来であるものの、

比叡山の根本中堂、高野山金剛峯寺金堂は薬師を本尊としている。

薬師如来は、右手の5本の指をそろえて伸ばし、手のひらを前に向け、

肩の辺に上げる施無畏印(せむいいん)とて手をあげ、

人々をおだやかに、なぐさめいたわる慰撫(いぶ)の姿勢を表わし、

左手には、薬壷を持っている姿が多いようである。

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