「父の作る料理がマズい」と感じる女子大生の投稿を読みました。母が料理を得意とせず、代わりに父が作るとのこと。けれど、マズいと言えば怒られる。ため息で伝えても伝わらない。彼女は「父の料理が上手くなればすべて解決」と言いますが、本当にそうでしょうか。
料理の味は、単なる「味覚の問題」ではありません。それは、その家の空気や、食卓を囲む心の距離をも映しています。
たとえば、同じスープでも「母が風邪の娘に作るスープ」と「義務感で作るスープ」では、同じ味付けでも心に残る温度が違うのです。まず試してほしいのは、「母の台所に立つこと」です。
包丁を持たなくても構いません。調味料を並べ、洗い物をしながら、母の手元を観察してみてください。どんな素材をどう扱い、どんな顔で料理をしているか。その時間が、料理そのものより大切な“学びの時間”になります。
味見の回数、火加減、盛り付け。細やかな一つひとつが、「料理の思いやり」を形づくります。味見をせずに完成させる料理は、相手の気持ちを確かめずに言葉を投げるようなものです。
人の心も、料理も、相手を想像して初めて“ちょうどよい塩加減”になるのです。そして、父の料理を「マズい」と切り捨てる前に、自分でも一品作ってみてください。作る過程にこそ、家族への理解が生まれます。もしかすると、父は「家族の役に立ちたい」という思いから台所に立っているのかもしれません。けれど不器用な愛情ほど、伝わりにくいものです。
料理は、味覚の訓練ではなく「思いやりの実践」です。YouTubeで三國シェフの動画を見るのも良いでしょう。世界の料理を学びながら、「食べる人の笑顔を想う」姿勢を身につけてください。
これは勉強であり、反面教師として学ぶ機会なのです。全てが自分のためであり、将来の自分の夫や子供のためでもあります。美味しい手料理は知識と愛情によって持て成されます。料理は思いやりを具体化した作品であり愛情表現の一部なのです。そのことが実践される家庭は明るく朗らかに幸せな家庭が永遠に築かれます。人生に何一つの無駄はありまあせん。貴方のチャレンジで豊かな未来を築いて下さい。心より祈ります。
読売新聞[人生案内]父の手料理がまずい 2025年10月を読みました。
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