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浄瑠璃寺は釈迦が生きた時代の根本仏教のお寺
京都の南の方にある奈良県との県境にある「浄瑠璃寺(じょうるりじ)」は、
仏の真実の言葉、真言(しんごん)の教えからくる、
片寄らない心の在り方「中道(ちゅうどう)」と、
正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の
「八正道(はっしょうどう)と、
迷いのこの世は一切が苦である「苦諦(くたい)」、
苦の原因の煩悩・妄執である「集諦(じったい)」
執着を断つことが苦しみを無くす「滅諦(めったい)」
八正道の実践が悟りに至る「道諦(どうたい)」の4つの心理、
「四諦(したい)」について、釈迦が生きた時代の教えを継ぐお寺だった。
浄瑠璃寺の名前の由来は、青色の天空に星がきらめき夜明け前の東の空から連想する
澄み切った清寂と清浄の世界からくる
金・銀・瑠璃・玻瓈・硨磲・赤珠・碼碯の七宝の一つ、
瑠璃(るり)=ラピスラズリ石からきている。
浄瑠璃寺は、京都木津川市の「当尾(とうの)の里」にあり、
当尾の里は古くは「小田原」と呼ばれ、山号で小田原山といい「小田原別所」と言われ、
平安時代後期興福寺の僧が、修行を行ったことから興福寺の小田原別所と呼ばれていた。
創建時のご本尊が薬師仏(やくしぼとけ)であったことから、
正式名称の「薬師瑠璃光如来」は、瑠璃という宝石のサファイヤからなる大地に住み、
住まいは、金・銀・瑠璃(るり)・蝦蛄(しゃこ)・瑪瑙(めのう)・真珠・玖瑰(まいえ・まいかい)」の7つの宝物から造られた、清らかで透き通った七宝(しっぽう)造りでした。
眼・耳・鼻・舌・身・意に惑わされず、病も、苦しみも無い、何の不足も無い、
清らかで幸せに満ちた浄瑠璃世界から、浄瑠璃寺の名前が付けられている。
浄瑠璃寺は国宝九体阿弥陀仏を有する九体寺(くたいじ)
世情不安の平安時代末期、極楽浄土信仰が高まり、
30か所程の九体阿弥陀堂が建立されたが、現存しているのは浄瑠璃寺だけである。
阿弥陀像は、中央に坐像の中尊を配置し、両脇に四躯ずつ等身大の阿弥陀像を配置、
木造漆箔の高さは、中尊が224.2cm 両脇8体が138.8~145.5cmあり常時拝観できる。
阿弥陀像はこの世での修行を終えた者が、還って逝く極楽浄土を9つに分け表した。
上品(じようぼん)・中品(ちゆうぼん)・下品(げぼん)に分かれ、
さらにそれぞれ、上生(じようしよう)・中生(ちゆうしよう)・下生(げしよう)と、
九品(くほん)に分けられ9体の仏像に表現された。
上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、中品上生、中品下生は生前善業を成した人、
下品上生、下品中生、下品下生は、生前に見勝手な生活で悪行を成した人と表現される。
現在、使われている上品(じょうひん)下品(げひん)はここからきている。
浄瑠璃寺は薬師如来像を本尊とする九体寺(くたいじ)
薬師如来は、正式に「薬師瑠璃光如来」と言われている。
人々の病気や苦しみを救う如来で、当時大衆の信仰を集めたのが薬師如来とされている。
聖徳太子が父用明天皇の病気平癒を願って薬師像を造ったりした。
天台宗の本尊は釈迦如来、真言宗の本尊は大日如来であるものの、
比叡山の根本中堂、高野山金剛峯寺金堂は薬師を本尊としている。
薬師如来は、右手の5本の指をそろえて伸ばし、手のひらを前に向け、
肩の辺に上げる施無畏印(せむいいん)とて手をあげ、
人々をおだやかに、なぐさめいたわる慰撫(いぶ)の姿勢を表わし、
左手には、薬壷を持っている姿が多いようである。
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