onvajra vairo 26hide について

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0.3%のワーケーション族より高齢者の体験型ツアーが儲かる!2021

ワーケーションはたった0.3%の大企業の社員

ワーケーションは、現役で働く人にとって、オフィスや自宅以外で働く、

仕事の効率を上げ、ストレスを軽減できる働き方改革の妙案のように言われているが、

なぜか経営コンサルタントの、新たな経費削減の策略のように思えてしまう。

経営者側は業務を効率的に運営でき、優秀な人材獲得にもメリットがあり、

観光事業者や飲食店にも、消費が増え地域活性化につながると言っているが、

ワーケーションが出来る人は、0.3%の大企業にしかいない。

ホテルや旅館観光業者は、ワーケーションより高齢者をターゲットにして欲しい。

彼らは、お金を使うチャンスをいつでも探している。

ワーケーションは経費節減のカモフラージュかも・・・

ワーケーションは、コロナ禍に便乗した雇用調整と経費節減のように見える。

主要先進7カ国の「労働生産性の国際比較」をみても、

1.日本の時間当たり労働生産性はOECD加盟37カ国中21位、主要先進7カ国では最下位。

2.日本の一人当たり労働生産性はOECD加盟37カ国中26位

労働生産性をあげる為の、ワーケーションであって欲しいが・・・

アイスランドでは労働人口の約1%の2500人が週休3日で働く社会実験に取り組んだ。

労働時間を週40時間から35~36時間に減らしても生産性は維持され向上したという。

日本でも週休2日から3日にすると、レジャー費等が10兆円増えると言われているが、

休みが増えることで、給与が下がってしまっては意味がない。

むしろ、休みを増やすより休職制度を利用し好きなことをやる社員を増やした方がいい

一度会社を辞め、再度就職したいと思う社員が多い会社の方が生産性が高い気がする。

高齢者がお金を使うと子や孫の給料が上がる

金融広報中央委員会「知るぽると」によると、

年代別1世帯当たりの金融資産は、働き盛りの年代では住宅費や教育費が多く貯蓄が少ない。

年代別の、全体世帯の平均貯蓄額は1,139万円になるが、

20歳代では、平均165万円、30歳代では、平均529万円

40歳代では、平均694万円、50歳代では、平均1,194万円

60歳代では、平均1,635万円、

70歳以上では、平均1,314万円になる。

貯蓄の中央値は平均額の半分位になるが、今もなお貯め続けている。

死ぬまでお金を貯め続け、最後に税金で国に納めるのが幸せのようだ。

悲しいかな、お金を貯め続けることが不安解消

「将来に少しでもお金を残したい」高齢者向けのコマーシャルは、

老後の生活資金不足ではなく、葬式費用や墓守のためのようだ。

すでに高齢者になっていても、100歳までゆとりある生活のために、
お金を貯め続ける習慣は変わらないようだ。

将来への不安を担保するのは、預金通帳の数字だけのようだ。

日銀発表の2020年度、個人の金融資産は1946兆円に達し130兆円増加した。

1987年度のバブル期108兆円を超え、最高額を更新した。

家計の現金・預金残高は1056兆円5.5%増加し、

株式も195兆円32.1%増加し、投資信託も84兆円33.9%増加した。

生きる喜びの唯一の証が、資産が増えることのようだ。

野村総合研究所2020年度の資料から

世帯が保有する金融資産の合計額から負債を差し引いた「純金融資産保有額」は、

5,000万円以上は約470万世帯9%、

3,000万円から5,000万円は約710万世帯13%、

3,000万円未満が4,200万世帯78%あります。

高齢者がどの層にどれだけ分布するかは分かりませんが、

相当数の高齢者が多くの金融資産を有していると想像します。

お金を使いたい高齢者は一杯いるがプランがない

野村総合研究所2020/12/21富裕層や超富裕層のコロナ禍の意識変化の記事があった。

「健康や体力増進に関する意識が強まった(65%)」

「ソーシャルディスタンスを意識した旅行をするようになった(47%)」

以上のデータは、富裕層だけでなく高齢者全てに当てはまる状況だと確信。

だからこそ、帝国ホテルのサービスアパートメントのような、

一定期間を定額料金で利用できる「宿泊サブスク」は丁度いい。

生きる喜びと感動の体験型企画があれば、喜ぶ高齢者は山ほどいる。

上質なホテルに泊まりながら、観光地を移動するスタイルもいいが、

❶豪華列車で上質なホテルのおもてなしを受けながらの旅行。

❷豪華客船で上質なホテルのおもてなしを受けながらの旅行。

❸山小屋に泊まりながら、日本百名山の山頂を極める登山(ドアツードアサポート)。

❹源泉かけ流しの温泉に泊まりパウダースノー満喫のスキー(ドアツードアサポート)。

❺パラグライダーのタンデムフライトとラフティングツアー(ドアツードアサポート)。

❻A級ライセンス取得とジムカーナとサーキットトライアル(ドアツードアサポート)。

❼自衛隊の訓練参加と戦車、潜水艦乗船、戦闘機搭乗ツアー(ドアツードアサポート)。

❽スキューバダイビングのライセンス取得とダイビング体験(ドアツードアサポート)。

❾左官職人から学ぶ、珪藻土、漆喰の壁塗り方体験入学(ドアツードアサポート)。

❿手びねりと電動ろくろで造った陶芸の窯入れから窯出し(ドアツードアサポート)。

荷物を持たないで、玄関まで迎えに来て、玄関まで送り届けてくれる。時には車いすを押してくれる人がいる。必要に応じて医師や看護師がいる。 60代の内に、実現可能なメニューと料金表を早く見たい。

妻の顔面麻痺は耳鼻科では無く「あんず鍼灸整骨院」のケイラクで完治2021

ある日、妻の眉毛とまぶたと口の顔半分が崩れていました

朝起きたら、顔半分がつれたような、違和感がありましたが、

鏡をみて、眉毛が傾いていることに驚くと同時に、まぶたも垂れ下がり、

何事が起きたのか、理解出来ないくらい衝撃を受けました。

指でまぶたを持ち上げても、元に戻ることはありません。

まぶたは垂れ下がり、目を閉じることも出来ないことに、

ようやく、顔面麻痺であることを自覚しました。

喋ろうと思っても、思うようにしゃべることが出来ません。

口角も下がり、口が歪んで変形し、口の端から水がこぼれました。

顔の半分が崩れ落ち、見るも無残な姿が鏡に映っていました。

医師の診断は、突発性の顔面神経マヒでした

顔面の筋肉を動かす顔面神経は、脳を出てから耳の骨の中を走行し、

耳下腺で眼、鼻、口唇に3方向に枝分かれし、筋肉を動かしています。

神経障害が発生したことで、顔面麻痺を起こしたものと思い、

すぐに耳鼻科の専門医を受診しました。

医師の診断は、耳の中も鼻の中も異常が無く原因不明の突発性麻痺と診断されました。

顔面神経麻痺は、突発性麻痺とヘルペスウイルス性麻痺の2つに分かれるようです。

ステロイド剤とビタミン剤を1週間処方されましたが、

「麻痺が残る可能性がある」 「完全に治ることはない」との

無神経な説明に、妻はさらに大きな衝撃を受けました。

医師の無神経な説明でトラウマ

原因不明の病気とはいえ、医師から「マヒが残る、治らない」と言った説明に、

妻は大変ショックを受け、顔だけでは無く、心にも大きな傷を受けました。

麻痺が残るという説明は、患者の精神的ストレスを増幅させました。

妻には、無神経な一人の医者の発言であることをさとしましたが、

専門医の論文や症例報告を読み漁り、回復できる症状であることを説明し、

ようやく気持ちを落ち着かせることが出来ました

何等かの心因的ストレスが病気の一因との報告があり、

夫婦2人で、過去数か月間の日常生活における精神状態を振り返り検証しました。

何が問題だったかを特定し、そのことについて、

その問題の理解の仕方や咀嚼の仕方を見つけるために、

2人で時間をかけゆっくり話し合った結果、快方に向かいました。

医師から「顔面神経減荷術」の選択も出来るので、

心配しなくても治りますよ!と言って欲しかったです。

幸いにも、ほぼ一ヵ月で完治しましたが、耳鼻科での治療に効果は無く

京都山科にある「あんず鍼灸整骨院」の経絡(ケイラク)で回復しました。

医者は、完全無比でも完全無欠でもない

そそもそも、医者は生死に関わらない患者を軽視していないか?

患者の命を救う達成感のない病気をぞんざいに扱っていないか?

その逆も含めて、フト疑問に思うことがありますが・・・

とはいえ、医者も普通の人間で、一般人の何倍も勉強した人達です。

医者になるため多くの犠牲を払った結果、浮世離れした医者もいるかも知れません。

人を救うための善意の仕事に従事する、普通の人間であることを認識すべきですね。

患者側も、医者を完全無比で完全無欠の存在と捉えてはいけないでしょう。

患者にも様々な症状を記録し、医師に報告し診断を仰がなければなりません。

1人の医者に妄信してしまうと、愚かな結果を招くことがあります。

執着を無くしてセカンドオピニオン、サードオピニオンを利用したいものです。

病気になって、思ったこと!

一事が万事、人の言葉を信じ切っても、また、疑ってばかりでもダメですね。

特に、医者の言うことを、金科玉条のごとく受取ってしまうのは愚かなことです。

親兄弟全ての人と関わりに、100%正しいことも、100%間違ったことも無いことでした。

何事も是々非々で、一定の距離感が偏らない心を保つ秘訣だと理解しました。

仏教や東洋医学においても、心と身体は「心身一如」としています。

何が原因かを一緒に探し、解決する方法を一緒に探すことにしました。

探し始めて、丁度一ヵ月経った頃に、はほぼ元通りになりました。

顔面麻痺は、経絡(ケイラク)で完治しました。

顔面麻痺の障害の程度はスコアで表現されています。

40点を正常として評価され、32点~38点を軽度麻痺。

24点~30点を中程度麻痺、16点~22点をやや高度麻痺。

8点~14点を高度麻痺、0点~6点を完全麻痺として評価しますが、

妻の場合、発症直後は18点で、5回目の施術35点まで回復しました。

その後、日を追うごとに回復しほぼ一ヵ月で正常になりました。

もし、2週間ほどで一定の回復傾向が見られなければ、

美容整形外科へ行く準備もしていましたが必要ありませんでした。

そもそも、経絡(ケイラク)とは何か?

経絡(ケイラク)の経は経脈(けいみゃく:縦の脈)、

絡は絡脈(らくみゃく:横の脈)を表し、

経絡は、東洋医学から生まれた気血の流れる通路の総称といわれています。

気血とは、体の基本となる「気」と「血」が全身を巡って、

身体のバランスをとっています。

「気」は形が無く、目には見えない体内のエネルギーとして捉えられ、

「血」は目に見える象徴として血液や体液を総称して表わしています。

健康なときは、気と血がバランスを取り、体内で均衡を保っていますが、

気と血のバランスが崩れると、身体に様々な症状が現れ病気が発覚します。

病気を治すのは、この不調な状態を調整することになります。

「病は気から」というよう言葉の通り、気の異常は血の変調をもたらし、

血の異常は気の変調を引き起す相関関係があります。

それぞれが、協調しバランスを取ることが治療になります。

実際の治療も強く指圧する訳でもなく、

針治療で使われる長い針を、体の奥深くまで刺すわけでもありません。

常に脈をとりながら、ツボを針状のもので軽く抑える程度で痛みもありません。

それでも、あんず鍼灸整骨院 茶谷隆晴院長の施術で治りました。

住所は京都府京都市山科区音羽野田町15-4 平木マンション11

ペンション経営は断念してもチャレンジに何一つ無駄は無かった!2021

入社してから数年後、ペンション経営に心惹かれた時期がありました。

サラリーマン生活を続けながら、安定した収入を確保しつつ、

宿泊業を営む生活スタイルが、将来設計の一つに思えたからです。

今では働き方改革で、仕事の掛け持ちを認める企業が増えてきましたが、

「二足の草鞋を履く」二刀流は、いつの時代にもハードルは高いようです。

結果的にペンションは断念しましたが、チャレンジに何一つ無駄が無いこともまた実感でした。

子供のころ父親が勤めていた大平洋金属の箱根の保養所や池の平保養所での、

親身な持て成しにサービス業に従事する人達の温かさが心に残っていました。

学生時代には修学旅行生向けのホテルや旅館でバイトした思い出や、

夏休み白樺湖のホテルや、冬休み極楽坂スキー場での泊り込みのバイトなど、

宿泊業の楽しさ厳しさを分かっていたつもりでしたが現実は想像を超えていました。

昭和53年入社して間もない頃、出張で奥能登ペンションに泊まった時からの事でした。

急にペンション経営に魅せられ、ペンションオーナーになりたいと思い始めました。

❶宿泊業はどこも稼働率が上がらず、理想を失いかけ挫折しかけている経営者が多い。

❷この業界で働く人は、日々仕事に追われ、休む間もなく仕事に追われ生活している。

❸売上規模に見合った設備投資しかできず、老朽化を十分に防ぐことが出来ない。

❹儲かればいい人を雇えるが、所定の賃金で働く人を探すことは困難。

❺商売の辞め時を判断出来ず、借金が抱え日々漫然と暮らしている経営者が多い。

❻長時間労働のストレスが、サービスの低下を招いていることに気付かなくなる。

❼いつでも辞めることができ、何時でも清算出来る経営が理想的だ。

様々な宿泊業の実情を聞かされるたび、20代の若者は宿泊業の厳しさを知ると同時に、

それらの問題点をクリアすれば将来性があるビジネスだと思うようになりました。

奥能登ペンションはこれらの様々な問題を克服し、現在に至っていることに、

オーナーの人間性や経営手腕に、いつの間にか引き寄せられました。

しかしながら、ホテルや旅館が、人の労働力で成り立つ装置産業であり、

24時間365日待ち受け商売である本当の厳しさを分かっていませんでした。

一方で、経営者に類まれなる知識と知恵が備われば、成功させることが出来ると考え、

自分の力量を重ねることで、よりペンションに心酔し将来設計を夢見るようになりました。

奥能登ペンションのオーナーは、自らの目標として、

テーマパークのような付帯設備を備えたペンションヴィレッジを夢見ていました。

ペンションの宿泊客であれば、いつでも利用できる複合施設を造ることでした。

その為には現在のペンションの後継者探しが最初の関門だったように想像します。

幸いにペンションに惹かれた若者の存在は、

後継者候補として絶好のタイミングで現れたのかも知れません。

言い換えれば、まさに飛んで火にいる夏の虫が私だったかも・・・ですね。

現在の宿泊施設は、旅行代理店だけに頼らず、宿泊予約サイトとの契約や、

自社のホームページでの予約を構築するのが一般的です。

また、現金以外のクレジットカード決済やスマホ決済なども、

多様化する客のニーズに答える必要があり、

時代にニーズを一歩先んじた知識と設備投資が必要になってきています。

当然ながら、部屋にはWi-Fiがあり外国語の対応も求められています。

今なお様々な課題を克服し、宿泊施設が運営されていますが、

ペンション経営は結果的に断念しましたが、

事前に何を想定するか、どれだけ万全に準備をするか、結果から何を考えるか、

次の一手をどういう戦略でやるか等々、一般社会でも通用するスキルを学びました。

医薬品メーカーでの勤務を通じて、

患者が、病院というホスピタル(hospital)に行き、病気を治すことも、

旅行客が、宿泊するホテル(hotel)で、寝食で体調を回復することも、

健康と癒しを求めていく目的は同じ方向性なのだと思いました。

装置産業の事業は、事前に人・物・金に多額の投資と膨大なリスクが伴いますが、

個人が自らの収入で自己投資する範囲にリスクは無くベネフィットしか存在しません。

知識を肥やし実践することで最小の投資で最大の効果が得られると思いました。

ペンションをやりたい!そのため、見習いで奥能登ペンションに就職したいと、

昭和53年(1978年)入社から数年の世間知らずの子供は親兄弟に相談しました。

両親は「折角、兄の世話で入社できた会社を辞めてまで・・」と押し留めましたが、

6歳年上の兄は、全面的に支援すると心底応援してくれました。

上司にも相談し親身な慰留にペンションへの道は断念しましたが、

偉大な兄の存在が道を見誤ることなく最後までたどり着けたことに感謝しかありません。

会社勤めしながら副業や起業することは、今でも素晴らしいことだと思っています。

入社して20年後に、医業経営コンサルタントの資格を取り転職の機会を狙いました。

試験会場でバッタリ同僚に出くわし、思わず2人顔を見合わせたことを思い出しますが、

まさに、それが退職までの20年を反映と幸福をもたらして出会いになりました。

医業経営のコンサルタント業務は、厚労省などからの通知や指示に対して、

医療の現場へ医療サービスを適格に反映させ病院経営を安定させる業務ですが、

ホテルや旅館と装置産業のサービス業に変わりなく、

奥能登ペンションで学んだ経験はコンサルタント業務にも大いに役立ちました。

お金の使い方は千差万別ですが、病気治療のためにホスピタルで消費するのではなく、

出来れば健康な内から、心と身体に感謝する気持ちで、ホテルや旅館において、

リフレッシュするために、お金を使う生き方がベストだと考えるようになりました。

もっともっと自分の身体を労わる覚悟が必要だと願っています。

転勤は最高のワーケーション、いつでもどこでも旅気分に!2021

転勤がワーケーションのチャンス

勤続年数に応じて長期間のリフレッシュ休暇を利用できる企業もあるでしょうが、

一般的には忌引き新婚旅行育児休暇以外で長期休暇を取るのは至難の業です。

実際、休みがあっても金がない。私のような人はたくさんいるのが現実です。

とは言え、賃金が増えないと文句を言うばかりでなく、

お金が無いからこそ、転勤先を避暑地やリゾート地に変えることです。

働き方改革のお陰で、ワーク(働く)とバケーション(休暇)を組み合わせた、

ワーケーション(workcation)を実現できるチャンスが転勤にあります。

仕事も遊びもスケジュールを立てることから

また、新しい勤務地に行く前に、

引越し業者をどこにする?

引越し業者との打ち合わせは何時にする?

引越しの準備を、いつから始める?

電気ガス水道は、いつ頃連絡する?

学校や町内会への案内をいつする?

勤務先での生活拠点をどこの市区町村にする?

通勤時間を何分圏内にする?

コンビニやショッピングセンターはある?

学校や病院、役所は近くにある?

地下鉄やバスは運行している?

転勤先の都道府県別の家賃規定は?

家賃相場と個人負担分の差額は?

給与の増減はどれだけある?

希望物件と周辺環境に違和感は無い?

住む土地は雰囲気が明るい?

希望物件は、駅から近い?

まだまだやること一杯あるでしょうが、

旅行のスケジュールを立てるのと同じです。

楽しんで行きましょう!

仕事はし烈を極めるからバカンスはその場で実行

転勤は、サラリーマンにとって一大イベントです。

仕事のこと、家族のこと、考えると不安ばかりですが、

あなた一人で、会社を背負っている訳ではありません。

好きで結婚した人と離れて暮らすのは無意味です。

子供の転校も心配する必要はありません。

両親が仲良く一緒に生活する様が何よりの教育です。

そもそも、仕事は、生き馬の目を抜くが如く熾烈を極めるものです。

新天地で優劣様々な人間に出会え、新たな展開が開けます。

人生を変える運命的な出会いのチャンスがあります。

転勤により新しい住処を探すのは楽しいことです。

旅先の感動と同じように転勤先でも新しい感動が生まれます。

転勤も旅も、その醍醐味はあなた次第です。

悩むことは何もありません。

ワーケーションを楽しんで下さい。

新天地は会社のお金で旅行できる最高のワーケーション

東京の転勤で最初に行ったことは、会社に歩いて5分のマンションを探すことでした。

通勤時間ほどムダなものは無いと考えていました。

そんな時間があったら仕事しなさい!と言いたいくらいです。

生産性を上げるには、仕事場は近い方がいいです。

だからこそ、ワーケーションは、住まいと仕事場が同じことが最高ですね。

東京に行って、最初に気付いたことが、水道水が美味い!と思ったことでした。

実家の富山の水には敵わないものの、家の京都の水より断然美味いと思いました。

スモッグが無く空気がキレイで街並みや景色が鮮明に見える気がしました。

かつて大阪に通勤しているときは、京都に近づくにつれて頭痛が直りました。

住まいの近くには、江戸川橋から神田川沿いの桜並木が散歩道でした。

かつてあったフォーシーズンホテルのイルテアトロは懐かしいレストランです。

目白新坂から椿山荘への坂道の銀杏並木も都心とは思えない程癒されました。

銀座まで12分池袋まで7分の住まいは、仕事が終わった後でも、

リフレッシュ出来る環境がふんだんにありました。

東北6県の中心地仙台への転勤も仕事以上に最高の観光拠点でした。

社命で転勤しなければ、東北の本当の良さを知ることは無かったでしょう。

仕事は死ぬほど大変でも、緊張と弛緩の差が大きいほど余暇が充実します。

転勤先はどこも絶好の勤務地であり最高の観光地であり休暇地でした。

転勤こそワーケーションを実現できる最高の手段です。

ワーク(働く)とバケーション(休暇)を組み合わせたワーケーションとは、

いつでもどこでも、仕事も遊びも区別なく生活する生き方のことかも知れませんね。

ホスピタリティを知った原点は奥能登ペンションだった2021

1978年(昭和53年)に大学を卒業し、新入社員で入社した11月、
23歳になってすぐに結婚しました。

最初の勤務地が石川県の能登半島で、
富山市内から100km以上も離れた奥能登へ毎日車で通っていました。

仕事は、能登半島にある10軒の公立病院を新規開拓することでしたが、
1年間成果が出ず毎日走るだけの日々でした。

夏場は海岸線を走る県外ナンバーの車やバイクによくすれ違いましたが、
冬ともなると、ひっそりとした海辺には人影は無く、
岸壁を乗り越えてくる波に、恐怖さえ感じながら走る毎日でした。

営業車に新車のスターレットが支給され、当時テレビコマーシャルに流れていた、
ラリードライバーの神様アンダーソンを真似て1日200kmを疾走していました。

300k近く走る時は宿泊の許可がおり、流行のペンションに泊まることが出来ました。
ペンションは中年のバイク族や、恋路海岸を目指す若い女性達で賑わっていました。

当時の奥能登ペンションは、オープンして10年位の草分的存在だったと思います。

オーナーは、「癒しを求め、何百キロも先から、奥能登を目指すんですよ!」と、

誇らしげに話していたように思います。

今思えば、フィールド・オブ・ドリームスの野球場を目指すシーンに重なる思いです。

8部屋?のペンションは、1年を通じて関東方面からの客で賑わっていたように思います。

ペンションには毎夜ギターを抱え、コーヒーを飲みにくる地元のお兄さんがいました。

金沢から130km離れた陸の孤島にある漁師町のペンションは、

都会のオアシスだったのかも知れません。

当時、奥能登ペンションのオーナーは、GHQが保養施設として接収した、

また、吉田茂元首相が来館した、更に昭和天皇・皇后が食事を摂るなど、

栄華を極めた湯涌温泉の白雲楼ホテルの子息だと本人から聞いた記憶があります。

東京に事務所を構える現役のカメラマンでもあったオーナーは、

陸の孤島の「奥能登ペンション」を、旅行会社やマスコミに紹介し、

あらゆるチャンネルを使って集客ルートを多方面に確保していました。

記憶が確かであれば、ペンションの前の道を「奥能登シルクロード」と名付け、

出版社に道の由来を投稿し、集客方法の一つとして情報発信していました。

「御陣乗太鼓も、過疎化対策の地道な活動の結果、無形文化財に指定された」

「例え、史実の断片でも命名することで、歴史のロマンが人を寄せつける」と言っていたように思います。

「一つに固執するのは愚かなり」が口癖だったオーナーは、

ある時「おにぎり部隊」を作って、父兄達と一緒に学校行事に参加していました。

地元客をペンションに呼び込む為の地域戦略の一つでした。

ペンションは建物を始め、テーブルや椅子など安価な什器が多かったように思います。

多面的な高い集客率と、確実な返済計画に基づいた経営戦略だったようです。

退職後夫婦が空き部屋を宿泊施設とするPension(=年金)を実現したのかも知れません。

いつも笑顔で朗らかに話しかけるオーナーがいるペンションはとに角居心地が良かった。

足の不自由なオーナーは、ホテルに滞在しプールで過ごすことが好きなようでした。

その経験が客が好むホスピタリティを、ペンションで実現出来ていたのかも知れません。

客がジムやプールを共同利用できる新たなペンションリゾートを開発中と教示され、

現在のペンションを、オーナーとしてやってみないかと誘われたことがありました。

悩みに悩んだ末、「やります!!」と言いに行ったオーナーの、奥さんの最後の質問が、

「宿泊業は、好きですか!」でした。

ペンション経営は2足の草鞋を実践するための手段であり、

奥能登ペンションは修行の場として考えていました。

朝早くから晩遅くまで客に接する仕事は、自分の性分で無いことは分かっていました。

親身に引き留めてくれる上司のお陰もあり、定年まで勤め上げることができましたが、

ホスピタリティとは何か?について、その本質を考えるきっかけになりました。

そのことで多くの成果を上げ、結果として多くのホスピタリティを経験できました。

いま自分に出来ることは何か?を考え一つずつ実践することで結果に繋がりました。

ホスピタリティは得ることより与える方が、本当は喜びが大きいのかも知れませんね。

リタイアメントしたらサービスアパートメントでゆったりとゆっくり旅2021

退職後に「ウィークリーマンション」を予約しようと・・・              

退職したらウィークリーマンションを借りたいと思っていました。

敷金や礼金などの心配がなく、身分証明書があれば契約できる手軽さ、

家具家電も一通りそろっている便利さ、がいいと・・・

ゴミ出しを自分でするとか、ティッシュや洗剤・シャンプーなど、

自分で補充する手間があっても、それもまた、愛嬌だと思っていましたが、

退職後にやりだした家事、旅先でも続けると思うと、無理だと、

駐車場の有無、部屋・台所・トイレや寝具の清潔感、管理人不在など、

考えると次から次へ問合せすることが多過ぎてギブアップしました。

長期滞在にはレストランの数とメニューの多さが・・・

退職後、万座温泉にあこがれの1週間の湯治に行きました。

標高1800mにある万座温泉は、スキーシーズンが終わり暇な時期だと思っていましたが、

乳白色の硫黄泉には、思いのほか多くのお客さんが訪れていました。

バイキング2食付きプランは、コストパフォーマンスが高く旅行会社にも人気のようです。

シーズンを通し、中高年層を迎え入れる体制が整っている施設はまさに大歓迎です。

一方、万座温泉のお湯は申し分ないですが、1週間の滞在には向いていなかったようです。

初日の、夜の食事メニューも多く、味もしっかりしていることに満足しましたが、

2日目もメニューが変わらないことに、冗談かと思いながらも頑張って食べましたが、

まさかの3日目も同じメニュー、流石に、喉が通りませんでした。

結局、帰る日まで、違うホテルのレストランに通いました。

1泊2泊が平均的宿泊数の中で、コストパフォーマンスが高い施設では至極当然なのです

だからこそ、これからコスト重視の客層とホスピタリティ優先の客にニーズが分かれると実感しました。

コネクティングルームは快適な距離感が演出できる

90歳の義母と妻と私と娘家族3人でディズニーランドに行きました。

車いすで園内を2日間駆け巡り、押す方も押される方も流石に疲れましたが、

トリプルルーム1室とコネクティングルーム(twin2部屋続き)を予約したお陰で、

ゆったりとくつろげることができ、2部屋続きの予約は大正解でした。

コネクティングルームは、義母も私達も不要な気遣いを避け、

コスト以上に十分に満足感が得られたように思います。

コネクティングルームは、子供が小さいときにも利用しましたが、

高齢家族が利用する場合にも、快適に利用できることが分かりました。

またある日、ツインベッドルームと和室に露天風呂がある和洋室タイプのホテル泊まったとき、

部屋ごとにある3台のテレビの音や照度の具合が気になり寝ることが出来ませんでした。

ふすまや障子で仕切られた和洋室より、コネクティングルームがホスピタリティが高いようでした。

ホテルの「サービスアパートメント」を旅の拠点に・・・

サービスアパートメントは、家具・家電・キッチン・洗濯機等を備えた賃貸施設です。

入居には入居審査・契約手続きがあり1ヵ月以上の入居が必要で、

ホテルのサービスアパートメントは、入居審査も契約もなく1週間から30日プランが一般的のようです。

ホテルが運用するサービスアパートメントは、高齢者の夫婦にとって、

時間に追われず、ゆったりとゆっくりと観光できる拠点になるでしょう。

その日の体調の変化や、天候の具合によって、出かけたくない時は部屋でくつろげる

時には、ホテルのプールやジムでリフレッシュすることもできる。

何と言っても、ホテに荷物を置いたまま気軽に出かけられるのはいいですね。

時間とスケジュールに追われる旅行会社のツアーより、

旅先の天候やその日の体調に合わせてスケジュールを立てる旅行スタイルが良いです。

観光地を時間から時間、駆け巡る団体旅行は高齢者夫婦にはしんどいですね。

行くだけの目的の旅行から、ホスピタリティ100%の滞在型旅行に変える時かも知れません。

ホテルが行っている「サービスアパートメント」

帝国ホテルは、30泊36万円(税サ込)等々のプラン販売しましたが即日完売しました。

京王プラザホテルでも、30泊16万円(税サ込)プラン等々を販売。

湯本富士屋ホテルは、30泊30万円プラン等々を販売。

ザロイヤルパークキャンバス神戸三宮は、30泊10.5万円(税サ込)プラン等々を販売。

東急ホテルズにおいては、2022年3月31日まで30連泊のプランを販売しています。

都内のホテルの場合は、首都圏在住の人がセカンドハウスとして予約したケースが多いようですが、コロナ禍が過ぎ去っても、関心が高いプランが次々出てくることを期待したいです。

ホテルの「サービスアパートメント」を拠点にしたいこと

現地に行って、人に聞いて行動する。

グルメブックに載らない料理人の料理を食す。

ライブ演奏でやさしい音色、力強い音色に活力を貰う。

いつもと違う服を試着し、鏡に映る自分を再発見する。

美術館や博物館で喜びや悲しみ、驚きと尊敬に共感する。

神社仏閣で、僧侶の法話に共感する。

公園を散歩し、無邪気な子供達の声に懐かしさを感じる。

料理に合う陶磁器や漆器を探す。

足元に咲く高山植物に顔を近づける。

源泉かけ流し加水加温なしの秘湯に温泉三昧。

新しい商業施設の斬新な内装やディスプレイを見入る。

テーマパークで夢の世界を実現する。

ねぶた祭りではハネトの衣装を着てハネル。

ゆったりとゆっくりと旅を楽しむには、ホテルのサービスアパートメントが必要。

提供されたスケジュールで動くのではなく、自分にあった旅が必要になってきました。

農場に立ち尽くす農夫と拾った石に20年前の出来事がグリーンブックで蘇った2021

グリーンブックは、第91回アカデミー賞作品賞を受賞した1960年代の映画。

ニューヨークの郵便配達員だったビクター・ヒューゴ・グリーンが、

1936年に創刊した、黒人が自動車で旅行する際に、

安全に利用できる施設を掲載した旅行ガイドブックGreen Bookをモチーフにしている。

第91回アカデミー賞で5部門にノミネートされた「ボヘミアン・ラプソディ」も、

感動的で何回も見入ったが、「グリーンブック」は立て続けに何回も見ていた。

白人が運転する車の後部座席に悠然とたたずむ黒人を、

不思議なものでも見るように、農場に立ち尽くす農夫たちの光景に、

以前一緒に仕事していた同僚との会話に、当時のシチュエーションが重なった。

20年前、卒業間近の大学生の面接に同席したことがあった。

会社は、多様な人材を採用する面接に、第一線の営業マンを同席させた。

人事担当者に付き添い、面接会場で初めて履歴書を見た。

明らかに外国人と分かる名前だったが、国籍も外国籍だった。

志望動機を始め一連の質問が終わると、本人が面接の近況報告をしてきた。

彼曰く、「何十社も面接してきましが、どこも体裁よく断られました。」

「御社が最後の望みです。採用して頂いたら身を粉にして働かせて頂きます!」

「どこの会社も、最後にお土産を手渡され、玄関まで丁重に送って頂きました。」

翌年めでたく採用され、一緒に仕事することになりました。

しばらくしてから、「あのときは本当にありがとうございました。」

何かを手助けした記憶はないが、やる気が評価されて良かったと思った。

「本当に、この会社に入れて良かったです!」

しきりに、何度も感謝の言葉を綴りながら、核心に迫ってきました。

「外国人が日本で認められるのは、医者と弁護士と学者だけなんです。」

「父も大学の教授で、二人の兄もそれぞれ医者で、自分だけが落ちこぼれなんです」

「日本で暮らすには、医者弁護士学者以外はダメなんです。」

「一方、本国に帰っても、自分達には居場所が無いんです。」

「だからこそ、折角頂いたチャンスを死ぬ気で頑張ります!」

日本では、性別や年齢が話題になっても、人種や信仰で盛り上がることはない。

共存繁栄の社会でありながらも、改めてグリーンブックで当時の社会が蘇った気がした。

また、講演先に向かう途中、休憩で立ち寄ったドライブインで、

陳列してあった土産物の台の前に落ちてた翡翠の石を、

トニーが拾ってポケットに入れたことがった。

ドクター・シャーリーは、「返してきなさい!」と言うが、

トニーは、「盗ったわけではない、落ちていた石を拾っただけ」と言う、

ドクター・シャーリーは、「欲しいなら買ってあげる」と言うが、

「それじゃあ意味がない」と、トニーが言う。

結局、最後まで隠し持ってた石が、猛吹雪の中、家路への幸運の道しるべになった。

20年前取引先の招きで、1月9日前橋市で行われる「だるま市」に行った時のことだった。

一直線に毎年御ひいきしている露店商に向かい、1年ぶりの再会を祝った。

当日買った「だるま」は、会社に飾るだるま一個だけだったが、

思いのほか大きく、一人で抱えると前が見えなくなるくらいだった。

年の初めの達磨は、1年間の商売繁盛を託す縁起ものだ。

達磨は値切るほど縁起が良いという話を聞いていたが、

値切る素振りはなく、普通にお金を払いながら、

「福を引きなさい!」と言ったか、

縁起物を頂きなさい!」言ったか、定かではないが、

達磨を盗むよう指示し、一緒に行った社員も心得ており、

山積みされた達磨の裾にある小さめの達磨を何個かくすねていた。

複数の達磨を注文していることから、値切るより「くすねる」方が伝統的な因習なのか、

店側も「福のお裾分け」を歓迎していたようにみえた。

その福で頂いた達磨一つを、帰りの新幹線、大事に抱えて帰った記憶がある。

今でも、その風習があるのかどうか分からないが、トニーの石に記憶が蘇った。

もう一つ、大阪の住吉大社には、「五大力の石探し」があるそうです。

小石を拾ってお守りにすると、5つの運力が授けられるというものです。

五所御前の杉の根元には石玉垣の中に、五・大・力と墨書きした石が紛れており、

3個1組で探し当て、お守りにすると、

体力・智力・財力・福力・寿力(寿命力)の5つの運力が授けられるというものです。

願いが叶ったら、

「お礼参りはご近所の小石に御自身で、五・大・力と書いたものを

用意し、拾われた石と共に倍返しにしてお入れ下さい」とあるようです。

まさに、どこかで聞いた世界が現実にあるようです。

最後に、

ドクター・シャーリーの演奏を聴きにくる白人富裕層たちは、

ドクター・シャーリーの音楽的才能を賞賛しながらも、

白人と、同じホテルに泊めない。
白人と、同じ席で食事をしない。
白人と、違うトイレを使わせる。

彼らは平然と演奏を楽しみながらも、

「ここでは、そういう決まりだから・・・」と言う。

ドクター・シャーリーは、「暴力は負けだ。品位を保つことが勝利をもたらすのだ。」

いかなる仕打ちにも、取り乱すことなく、品位を保つ。

1960年代のアメリカ南部を舞台にした映画ではあるものの、

一見横暴で無教養な人情深いトニーと

教養と品性を盾に生き抜くドクとの痛快で愉快な物語だ。

遠い昔のアメリカの話しでは無く、ねたみや嫉妬の入り混ざった不雑な社会に
生きる続ける我々にとっても、共鳴することが多い内容だった。

今までの価値観や固定観念に縛られることなく、生きて行かなければならないと思った。

フランスに送った荷物を確実に受け取るには日本とフランスのアプリを同時追跡2021

フランス便荷物の紛失と返送を乗り越え次にチャレンジ

2021年3月16日京都市の郵便局からフランスに送った「国際小包」が、

3か月経って紛失の連絡があった思ったら、その1週間後紛失したはずの荷物が、

送り返されるというドタバタ劇を経験しました。

「フランスに送った荷物が紛失、損害金清算後に、突然戻ってきた2021」

で報告したばかりですが、気分一新、より確実に、荷物を送る手段がないか

試行錯誤を繰り返してみようと思い、次の荷物を娘に送ることにしました。

前回送った荷物の通関電子データ入力ミス2つを改善

通関電子データに、正確な記入と記入漏れがないか十分にチェックしました。

前回の1つ目のミスは、「送り状に登録できる内容品は60個」まででしたが、

「内容品を登録」をする段階で、入力操作するときに、

「お届け先を登録する」ボタンの右方向にある「表示件数」の欄に、

送る品目数の個数を、プルダウンし選択する必要がありました。

初期段階では「表示件数5」になっています。

入力品目数が5以上の場合、送る品目数に合わせ数字を入れ替える必要があります。

表示件数数を入れ替えないと、送り状のラベルに全品目が印刷されません

変更しなくても不都合はなさそうですが、何かトラブルがあったとき、

入力ミスが原因で損害賠償が不履行になる可能性もあるので、

正確な入力が必要です。

前回の2つ目のミスは、送り先の娘の電話番号の入力漏れでした。

「国際郵便マイページサービス」の初期設定で、
差出人や送り先の住所・氏名・電話番号を登録しますが、

電話番号は入力の必須項目ではなく
エラーメッセージが出ることが無く見過ごしてしまいました

「通関電子データの送信が義務化」の前、
手書きで送り状を書いていたときは、あり得ない記入漏れでした。

今回は2kgまで送れる「国際eパケット」で送りました

国際eパケットは2kgまでの物品を航空便で安く送ることができるサービスです。

また、フランスは、荷物の追跡が可能で、6,000円を限度に賠償請求もできます。

今回2021年7月1日に送った荷物は、7月5日フランスに到着し娘は8日に受領しました。

フランス郵便局のアプリを追跡し、荷物を取りに行きました!

国際郵便マイサービスのメールで、7月5日フランスに荷物到着を認識した娘は、

フランスの郵便局(la poste)アプリも同時に追跡し、荷物の行方を追っていました。

la posteアプリでは、5日は、「配達中」になっていましたが、
荷物が届くことはありませんでした。

送り状に書いてある携帯電話に連絡もありませんでした。

配達員によって電話をかけてくれる人もいますが、善意の行為のようです。

前回紛失しかけた3月16日発送の荷物は、不在通知も入らなかったので、

今回は、日本へ返送されないよう、いつでも郵便局に行く準備をし待機していました。

小包を配達する配達員は、不在通知を書かないようですね!

フランスの日常的な郵便配達は、

ポストに入る大きさの手紙などは自転車で配達していることが多いですが、

郵便ポストに入らない小包は、早朝、車で一斉に配達しているように推察されます。

そのため、届け先が不在と判断すると、すぐに持ち帰る仕組みになっているようで、

郵便局はその不在結果を受け、別の配達員が「不在通知」を配達しているようです。

ポストに入らない郵便を扱う配達員は、不在通知を不在宅に入れないようですね

なお、荷物を保管している郵便局は、la poste アプリで確認できます。

不在通知に記載のバーコードを認識できなかった

7月8日、郵便局に荷物の行方を聞きに行く前に、
郵便受けに不在通知が入っていることが分かりました。

「7日8時不在」「郵便局に保管15日までに取りに来て!」とのメッセージでした。

7日は在宅していましたが、アパートの呼び鈴は鳴らず、

連絡が取れなかったようですが、荷物を届けにきた様子がありません

結局、不在通知を持って郵便局へ行きましが、不在通知にある
バーコードをスキャンしても、自分宛ての荷物を特定することは出来ませんでした。

国際郵便マイサービスとa posteアプリに出ている「お問い合わせ番号」を提示し、
やっとのことで荷物を受け取ることができました。

今回、国際郵便マイサービスとla posteのお客様番号と、不在通知のコードが一致していないことが発覚しましたが、フランス郵便局は何も問題にしていないので、今後も、紛失や日本返送の可能性が依然として高いことが想像されました。

なお、荷物の受取りには、身分証明書(滞在許可書カード)が必要です。

今回の荷物は、「国際書留」という種類だったので、

安全に間違いなく届いたと言いたいところですが、

郵便局の配達の仕組みや不在通知の精度を考えるとこれからも不安一杯ですね。

安全対策としては、フランスの郵便局(la poste)のアプリと、国際郵便マイサービスを同時に追跡し、郵便局へいつでもスクランブルできる体制を整えつつ、祈るしかないようです。

フランスに送った荷物が紛失、損害賠償清算後に、突然戻ってきた2021

フランスに送った荷物が、3ヵ月経って紛失と断定

2021年3月16日京都市山科郵便局からフランスに航空便で荷物を送りました。

丁度、1週間前フランスからも日本にも1週間ほどで荷物が到着していたので、
コロナ禍でもフランスの郵便は機能していると判断し出荷しました。

フランスはストライキで交通機関のマヒや公的業務の一時停止があります。

また、夏休みシーズンや、クリスマスシーズンなども業務の停滞に加え、

荷物の紛失が増える時期でもあり、送品時期を見極める必要がありました。

残念ながら今回送った荷物は、3か月経ってから紛失が発覚し、

それに伴って、郵便局から「損害賠償請求」の申請依頼があり、

荷物の行方を追い続けた3か月にピリオドを打ちました。

「調査請求書」を提出し、荷物の行方を調査依頼

3月16日に出荷した荷物の行方について、何度となく山科郵便局に出向きましたが、

「フランスからの対応待ち」との一辺倒の回答しか得られず3か月行方知らずでした。

4月8日郵便局「調査請求書」を提出し、正式に荷物の調査依頼をしました。

日本フランスの関係者全員に、フランス側の郵便局の不自然な対応について、

娘と夫が現地郵便局へ対応した行動記録を、

英語、フランス語、日本語で作成し、調査請求書に添付しました。

フランスにいる娘と夫の郵便局への行動記録

3月30日午前中

フランス郵便局サイトにおいて、荷物がどこにあるか追跡すると、

「荷物は配達されませんでした。差出人へ返送されました」と、

記載されていたので、すぐに郵便局総合案内に問い合わせしました。

一人目(郵便局オペレータ)

「荷物はもう日本に返送されたので、手の打ちようがない」と言われた。

「なぜ配達されなかったのか?」と質問すると、

「インターホンが壊れているので中に入れなかったと記録がある」

「いつも荷物は郵便局に保管され、不在届が入るのになぜすぐに返送?」と質問すると、

「インターホンが壊れている以上何もできないこれ以上話はない」と電話を切られた。

二人目(郵便局オペレータ)

「荷物は、クレテイユ(隣町)の倉庫に保管されているので、

そこから最寄りの郵便局への配達は可能か問い合わせてみて、

その結果を24時間以内に報告する」と倉庫の住所も教えてもらう。

「なぜ配達されなかった?」と一人目のオペレータと同じ質問をする。

「インターホンが壊れているので中に入れなかったと記録がある」

「なぜ電話を到着した時にくれなかった?」と質問を続ける。

「配達人が基本電話することは禁止されている」

「今まで配達人は、何度か電話をしてくれたが?」と説明するが、

「それは分からない」と回答。

数時間にメールで「荷物は倉庫から配達され日本に向かう準備中」とメッセージ。

3月31日午前中

再度確認のため郵便局へ連絡する。

三人目(郵便局オペレータ)

「荷物は、現在どこにあるのか?」と質問する。

また、「二人目のオペレータは本当に行動をしたのか」問い合わせる。

「前日に電話を受けた記録が残っているが、

二人目のオペレータの行動は分からない。だが荷物は日本に向かっている」

3月31日午後

クレテイユの倉庫に向かうが、一般人の立ち入りは禁止で情報はつかめず。

そのまま最寄りの郵便局に向かい、荷物が配達されず返送された内容を説明、

「確かに昨日まで荷物はここに保管されていたが、

今はクレテイユにある。こちらからはどうすることもできないので、

オペレータに電話してもらえるか」と言われる。

4月4日午前中

フランスの郵便局は、荷物の不在届も入れず一方的に返送したことや、

郵便局に数日たりとも保管もせずに返送手続きしたことに、

返送料金の補償と極めて遺憾のメッセージを送ったが全く回答なし。

今までも何回となく、不在通知や電話で配達状況を確認できていましたが、

今回の配達員は善意の欠如か、ルールの不徹底か疑問は解消されないままです。

荷物を送る前に、データ送信を義務化

2021年1月1日から「通関電子データの送信が義務化」になりました。

いつ誰が誰に何を送るかを、事前に登録することが義務付けられました。

「国際郵便マイページサービス」のサイトに登録した後に、

宛名差出人、送る品名価格単価個数重さをデータ入力し、

国際郵便の荷物に貼るラベルを作成しなければならなくなりました。

自宅で印刷したA4サイズの紙を、荷物と一緒に郵便局へ持って行き、

ビニールでパウチして貰い、荷物の発送手続きは完了です。

スマホでの作成は、「国際郵便マイページforゆうプリタッチ」から、

ラベル作成後に表示されるQRコードを郵便局にある、

「ゆうプリタッチ」にかざすと、ラベル印刷ができるようです。

パソコンで行う場合も含め、改めて国際郵便マイサービスを確認して下さい。

なお、「国際郵便マイページサービス」においてデータ送信をせず紛失した場合は、

送料や内容品の損害賠償請求は出来ないようです。

今回の荷物の重さは7kgで送料が1万4千円、送品物が約7千円でした。

紛失における損害賠償はその全額が即座に支払われました

国際郵便からの情報で荷物の返送確認

2021/03/16 13:21     引受            山科郵便局      京都府

❷2021/03/16 20:35     中継            京都郵便局      京都府

❸2021/03/17 02:39     国際交換局に到着               大阪国際郵便局  大阪府

❹2021/03/17 16:30     国際交換局から発送             大阪国際郵便局  大阪府

❺2021/03/26 00:30     国際交換局から発送             CHILLY CEI     FRANCE

❻2021/03/26 00:30     国際交換局に到着               CHILLY CEI     FRANCE

❼2021/03/26 00:30     区分局に到着                  FRANCE

❽2021/03/26 22:30     区分局に到着                  FRANCE

❾2021/03/27 06:34     区分局に到着                  FRANCE

❿2021/03/27 20:02     到着                   FRANCE

⓫2021/03/29 08:26     配達局で保留                  FRANCE

⓬2021/03/29 08:27     配達局で保留                  FRANCE

⓭2021/03/30 06:55     輸入取止め                    FRANCE

⓮2021/03/31 00:23     区分局に到着                  FRANCE

⓯2021/03/31 13:57     区分局に到着                  FRANCE

⓰2021/06/19 21:45     国際交換局に到着               川崎東郵便局    神奈川県

⓱2021/06/20 09:00     通関手続中             川崎東郵便局    神奈川県

⓲2021/06/20 11:57     国際交換局から発送             川崎東郵便局    神奈川県

⓳2021/06/21 07:47     到着            山科郵便局      京都府

2021/06/22 16:33     お届け済み             山科郵便局      京都府

3月16日山科郵便局から出荷した荷物は、

3月17日大阪国際郵便局から3月26日フランスに到着しました。

3月29日フランスの娘夫婦に配達されましたが、呼び鈴の故障を理由に、

配達を拒否し、翌日には日本への返送手続きが開始されました。

上記報告データは、リアルタイムに差出人と受取人に配信されます。

娘も夫も自宅で心待ちにしていましたが、

アパートの呼び鈴が故障との理由で、不在通知を残すことなく

配達員は立ち去り、即座に日本へ返送手続きを開始しました。

不在通知はフランスでもルール化されているのに・・・

不在通知はフランスでも運用されているようですが今回履行されませんでした。

❶EMSラベルに必要に応じてドアコードと電話番号記入が必須

受取人住所にドアコード(ドアロック自動解除番号)が必要な集合住宅では、

EMSラベル「お届け先欄」にドアコード情報と電話番号のご記入が必要です。

ドアコードが不明で且つ電話が繋がらない場合、配達員が、

郵便受箱に不在通知書を差し入れることができず、

配達の遅延と返送の恐れがある。と説明があります。

不在の場合の取扱について

フランスでEMS配達時に受取人が不在の場合、クロノポスト社(フランスでのEMS配送を請け負う会社)の不在通知がポストに残されます

不在留置き期間は郵便局の場合14日間。期間を過ぎると日本へ返送される。とあります。

(不在通知:20cm×10cmの薄い紙です)

❸表(クロノポスト記入面)

❹裏(お客様記入面)

以上の仕組みが、日本の郵便局のホームぺージにアップされていますが、

フランス側の対応を載せているだけで、荷物の遅延や紛失の場合において、

日本からの荷物の追跡や、管理責任を追及できるものでは無く

実質的に状況を見守るしかなく、泣き寝入するしかないようです。

6月21日、紛失した荷物が返送されてきた

「国際返送料」の不在通知が届き、8,889円の支払い指示がありました。

フランスで紛失した荷物が、突然送付されるに至った不可思議な経緯について、

山科郵便局に説明を求めましたが、説明は得られませんでした。

山科郵便局に対して、入金済の損害賠償金を返金し、

不足金の支払い拒否を伝えましたが、

「品物、送料共に全額補償済なので、不足金支払い拒否は

国際郵便に返送され何れ廃棄される」との説明でした。

荷物には賠償金以上の価値があることから不足金は支払いました。

実際のところ返送され安心しましたが、

国際郵便にはリスクがあることを改めて認識しました。

今回送った荷物は、重さ30kgまでの「国際小包」を航空便で送りましたが、

次回は、2kgまでの小型包装物「国際eパケット」を使ってみようと思います。

不在通知も無く、配達不履行を回避できる根拠はありませんが、

紛失した場合の被害を少なくする目的で近々送ってみようと思います。

送った結果は、フランスに送った荷物を確実に受け取るには日本とフランスのアプリを同時追跡2021に続きます。

虫が嫌いで注射が嫌いな65歳が決死の覚悟で献血に行く理由2021

はじめに、毎回顔が紅潮し額に汗をかくのに行く!

初めて献血に行ったのは40代中頃、有楽町の交通会館6階の献血ルームでした。

虫と注射が人生で一番嫌いな人間が、よく行ったなぁーと我ながら感心です。

大げさでは無く、毎回覚悟を決め、決死の思いで献血ルームに臨んでいましたが、

今年で30回を達成したので、切りのいいところで卒業しようと思っていました。

ところがその矢先「コロナ禍でAB型不足」との葉書が立て続けに送られてきました。

65歳になっても、毎回、注射の恐怖で顔が紅潮し額に汗をかきます

まさに、交感神経興奮によるアドレナリン放出のせいです。

献血ルームでは、強張った身体に額に汗をいた65歳を気遣いながらも、

「何回も来て頂いているのにー?」と、不思議そうに見つめられています。

最も話です。そんな思いまでして、何で65歳が献血に行くのか!ですね・・?

「私が献血ルームに来た理由」NHK6月18日放映から

偶然にも、NHKで「私が献血ルームに来た理由」の特集番組がありました。

以下が様々な思いで献血ルームを訪れる人間模様に心が和む内容です。

❶59回目で人の為と趣味、回数をのばすことが趣味の男性

❷募金や寄付よりも、血液は使われる目的が明確だから・・・

❸珍しい血液型のため、何かの時に自分のためにも役立てたい

❹新任の看護師で、採決する看護師の所作を勉強するために

❺40年行き続ける献血ルームが無になれる空間でホットする時間で充実する

❻近くにあったから来てみたが、ヘモグロビン値が低く献血出来なかった

❼仕事に自信が無くなり求職中、体調管理の確認も兼ねて献血にきた

❽40年間で115回してきたが69歳で終わる寂しさを新たな趣味を見つけ克服したい

❾血液検査の数値を月1回連続して見続けることで健康管理ができる

❿父が手術で輸血、定期的に献血していた父のことを知り、自分も見習うことにした

⓫毎年の誕生日の記念に献血、介護に従事してからも健康に感謝するため

⓬両親が介護施設に入所、電車を見下ろすことが出来る献血ルームで心を癒す

⓭部活が無くなり時間があったので初めて献血にきた。すごく緊張した。

⓮離婚を機に、何か人の役に立つことしたいと思って来た

日本の血液はボランティアだけで賄えるのでしょうか?

『自分の血を売って生計を立てる「売血」が増加、アメリカの貧困層の現実』

カラパイア2019年12月21日の記事を読みました。

アメリカでは今もなお「売血」で生計を立てている貧困層が多いようです。

売血が認められているアメリカは、その大部分が血漿製剤として輸出され、

とうもろこしや大豆以上の輸出量があるようです。

体重50kg以上であれば週2回の献血が可能で、1回に30ドル~50ドルのお金になり、

週に100ドルの収入を得て、生計を維持している実態があるようです。

献血ドナーは、血中のたんぱく質減少、感染症や肝臓・腎臓障害のリスクが高く、

倦怠感、脱水症状、無気力、認知機能障害を抱え境界線貧血を患っているようです。

因みに、日本では全血製剤の輸入はありませんが、血漿分画製剤の輸入はあるようです。

そもそも、日本ではなぜ献血は無償なんでしょうか?

献血ルームには、アイスクリーム、お菓子、暖かいお茶やコーヒー、

冷たいジュースなど全て無料で設置されています。

献血回数やイベント、誕生日月に記念品を貰うことがありますが、

当然ながら、お金は一切貰うことはありません。

阪南大学の2019.8.19第15回「献血はなぜ無償なのだろうか?」の記事によると、

日本では1960年代までは、「売血」の仕組みがありました。

当時の金額は、400ccで1,200円位だったようで、

高卒国家公務員一般職の初任給14,000円だった為、かなり高額だったようです。

そのため、傷害や暴行事件に関わっていた10代の子供たちが、

お金が無くなると売血を繰り返す社会背景があったようです。

また、労働者が生活費のために売血していた実態もあるようです。

その後、安全性や道徳的観点から無償に代わりボランティアに依存することになりました。

売血を容認すると、献血への社会的義務感が失われ、

血液を商品化すると、献血に対する道徳的責任が感じ難くなるようです。

無償だからこそ、ボランティア精神で献血の気持ちが湧いてくるが、

有料だと、お金が必要な人がやるもの、といった意識が出てくるようです。

最後に、注射の痛みが健康のバロメーター!

何回か献血に行っている間に、血を抜くことで身体が楽になった印象があり、

いつしか、注射を打つ恐怖感を健康のバロメーターにしていました。

65年間で入院したのは、盲腸と尿管結石でしたが、

特に尿管結石は、激痛で意識が混濁し注射の恐怖どころではありませんでした。

1年に1回の人間ドックでも注射の恐怖はありますが全身検査のため止むを得ません。

幸いにも健康だからこそ、注射の痛みに恐怖を感じるのだと理解しています。

人間ドック以外で、身体に針を刺すのは献血だけなので、

健康な身体を維持できていることで、献血で社会貢献できることは有難いことと思っています。

そのために、痛みに接することが自分の健康状態を監視する一つの方法だと考えています。

一方において、献血の前に20以上の質問に答えるのも面倒ですが、

問診のあと、両腕を看護師に差し出し、どっちの腕から400mlを抜くか!

太い血管はどっちか!値踏みをされ間に合わない腕から一回目の採決が始まります。

ここまで神経質になっているのは私だけなのでしょうねぇー!

突然ですが、治療が必要な患者と病院を憩いの場として訪問する人を、
マイナンバーで一元管理し、治療費を前払いの還付制度に変更するといいですね。

献血もマイナンバーで管理し、献血回数に応じて、
健康診断や人間ドックの補助に充てる制度にすると、
献血はもっと進むように思います。どうでしょうか!?