ペンション経営は断念してもチャレンジに何一つ無駄は無かった!2021

入社してから数年後、ペンション経営に心惹かれた時期がありました。

サラリーマン生活を続けながら、安定した収入を確保しつつ、

宿泊業を営む生活スタイルが、将来設計の一つに思えたからです。

今では働き方改革で、仕事の掛け持ちを認める企業が増えてきましたが、

「二足の草鞋を履く」二刀流は、いつの時代にもハードルは高いようです。

結果的にペンションは断念しましたが、チャレンジに何一つ無駄が無いこともまた実感でした。

子供のころ父親が勤めていた大平洋金属の箱根の保養所や池の平保養所での、

親身な持て成しにサービス業に従事する人達の温かさが心に残っていました。

学生時代には修学旅行生向けのホテルや旅館でバイトした思い出や、

夏休み白樺湖のホテルや、冬休み極楽坂スキー場での泊り込みのバイトなど、

宿泊業の楽しさ厳しさを分かっていたつもりでしたが現実は想像を超えていました。

昭和53年入社して間もない頃、出張で奥能登ペンションに泊まった時からの事でした。

急にペンション経営に魅せられ、ペンションオーナーになりたいと思い始めました。

❶宿泊業はどこも稼働率が上がらず、理想を失いかけ挫折しかけている経営者が多い。

❷この業界で働く人は、日々仕事に追われ、休む間もなく仕事に追われ生活している。

❸売上規模に見合った設備投資しかできず、老朽化を十分に防ぐことが出来ない。

❹儲かればいい人を雇えるが、所定の賃金で働く人を探すことは困難。

❺商売の辞め時を判断出来ず、借金が抱え日々漫然と暮らしている経営者が多い。

❻長時間労働のストレスが、サービスの低下を招いていることに気付かなくなる。

❼いつでも辞めることができ、何時でも清算出来る経営が理想的だ。

様々な宿泊業の実情を聞かされるたび、20代の若者は宿泊業の厳しさを知ると同時に、

それらの問題点をクリアすれば将来性があるビジネスだと思うようになりました。

奥能登ペンションはこれらの様々な問題を克服し、現在に至っていることに、

オーナーの人間性や経営手腕に、いつの間にか引き寄せられました。

しかしながら、ホテルや旅館が、人の労働力で成り立つ装置産業であり、

24時間365日待ち受け商売である本当の厳しさを分かっていませんでした。

一方で、経営者に類まれなる知識と知恵が備われば、成功させることが出来ると考え、

自分の力量を重ねることで、よりペンションに心酔し将来設計を夢見るようになりました。

奥能登ペンションのオーナーは、自らの目標として、

テーマパークのような付帯設備を備えたペンションヴィレッジを夢見ていました。

ペンションの宿泊客であれば、いつでも利用できる複合施設を造ることでした。

その為には現在のペンションの後継者探しが最初の関門だったように想像します。

幸いにペンションに惹かれた若者の存在は、

後継者候補として絶好のタイミングで現れたのかも知れません。

言い換えれば、まさに飛んで火にいる夏の虫が私だったかも・・・ですね。

現在の宿泊施設は、旅行代理店だけに頼らず、宿泊予約サイトとの契約や、

自社のホームページでの予約を構築するのが一般的です。

また、現金以外のクレジットカード決済やスマホ決済なども、

多様化する客のニーズに答える必要があり、

時代にニーズを一歩先んじた知識と設備投資が必要になってきています。

当然ながら、部屋にはWi-Fiがあり外国語の対応も求められています。

今なお様々な課題を克服し、宿泊施設が運営されていますが、

ペンション経営は結果的に断念しましたが、

事前に何を想定するか、どれだけ万全に準備をするか、結果から何を考えるか、

次の一手をどういう戦略でやるか等々、一般社会でも通用するスキルを学びました。

医薬品メーカーでの勤務を通じて、

患者が、病院というホスピタル(hospital)に行き、病気を治すことも、

旅行客が、宿泊するホテル(hotel)で、寝食で体調を回復することも、

健康と癒しを求めていく目的は同じ方向性なのだと思いました。

装置産業の事業は、事前に人・物・金に多額の投資と膨大なリスクが伴いますが、

個人が自らの収入で自己投資する範囲にリスクは無くベネフィットしか存在しません。

知識を肥やし実践することで最小の投資で最大の効果が得られると思いました。

ペンションをやりたい!そのため、見習いで奥能登ペンションに就職したいと、

昭和53年(1978年)入社から数年の世間知らずの子供は親兄弟に相談しました。

両親は「折角、兄の世話で入社できた会社を辞めてまで・・」と押し留めましたが、

6歳年上の兄は、全面的に支援すると心底応援してくれました。

上司にも相談し親身な慰留にペンションへの道は断念しましたが、

偉大な兄の存在が道を見誤ることなく最後までたどり着けたことに感謝しかありません。

会社勤めしながら副業や起業することは、今でも素晴らしいことだと思っています。

入社して20年後に、医業経営コンサルタントの資格を取り転職の機会を狙いました。

試験会場でバッタリ同僚に出くわし、思わず2人顔を見合わせたことを思い出しますが、

まさに、それが退職までの20年を反映と幸福をもたらして出会いになりました。

医業経営のコンサルタント業務は、厚労省などからの通知や指示に対して、

医療の現場へ医療サービスを適格に反映させ病院経営を安定させる業務ですが、

ホテルや旅館と装置産業のサービス業に変わりなく、

奥能登ペンションで学んだ経験はコンサルタント業務にも大いに役立ちました。

お金の使い方は千差万別ですが、病気治療のためにホスピタルで消費するのではなく、

出来れば健康な内から、心と身体に感謝する気持ちで、ホテルや旅館において、

リフレッシュするために、お金を使う生き方がベストだと考えるようになりました。

もっともっと自分の身体を労わる覚悟が必要だと願っています。

転勤は最高のワーケーション、いつでもどこでも旅気分に!2021

転勤がワーケーションのチャンス

勤続年数に応じて長期間のリフレッシュ休暇を利用できる企業もあるでしょうが、

一般的には忌引き新婚旅行育児休暇以外で長期休暇を取るのは至難の業です。

実際、休みがあっても金がない。私のような人はたくさんいるのが現実です。

とは言え、賃金が増えないと文句を言うばかりでなく、

お金が無いからこそ、転勤先を避暑地やリゾート地に変えることです。

働き方改革のお陰で、ワーク(働く)とバケーション(休暇)を組み合わせた、

ワーケーション(workcation)を実現できるチャンスが転勤にあります。

仕事も遊びもスケジュールを立てることから

また、新しい勤務地に行く前に、

引越し業者をどこにする?

引越し業者との打ち合わせは何時にする?

引越しの準備を、いつから始める?

電気ガス水道は、いつ頃連絡する?

学校や町内会への案内をいつする?

勤務先での生活拠点をどこの市区町村にする?

通勤時間を何分圏内にする?

コンビニやショッピングセンターはある?

学校や病院、役所は近くにある?

地下鉄やバスは運行している?

転勤先の都道府県別の家賃規定は?

家賃相場と個人負担分の差額は?

給与の増減はどれだけある?

希望物件と周辺環境に違和感は無い?

住む土地は雰囲気が明るい?

希望物件は、駅から近い?

まだまだやること一杯あるでしょうが、

旅行のスケジュールを立てるのと同じです。

楽しんで行きましょう!

仕事はし烈を極めるからバカンスはその場で実行

転勤は、サラリーマンにとって一大イベントです。

仕事のこと、家族のこと、考えると不安ばかりですが、

あなた一人で、会社を背負っている訳ではありません。

好きで結婚した人と離れて暮らすのは無意味です。

子供の転校も心配する必要はありません。

両親が仲良く一緒に生活する様が何よりの教育です。

そもそも、仕事は、生き馬の目を抜くが如く熾烈を極めるものです。

新天地で優劣様々な人間に出会え、新たな展開が開けます。

人生を変える運命的な出会いのチャンスがあります。

転勤により新しい住処を探すのは楽しいことです。

旅先の感動と同じように転勤先でも新しい感動が生まれます。

転勤も旅も、その醍醐味はあなた次第です。

悩むことは何もありません。

ワーケーションを楽しんで下さい。

新天地は会社のお金で旅行できる最高のワーケーション

東京の転勤で最初に行ったことは、会社に歩いて5分のマンションを探すことでした。

通勤時間ほどムダなものは無いと考えていました。

そんな時間があったら仕事しなさい!と言いたいくらいです。

生産性を上げるには、仕事場は近い方がいいです。

だからこそ、ワーケーションは、住まいと仕事場が同じことが最高ですね。

東京に行って、最初に気付いたことが、水道水が美味い!と思ったことでした。

実家の富山の水には敵わないものの、家の京都の水より断然美味いと思いました。

スモッグが無く空気がキレイで街並みや景色が鮮明に見える気がしました。

かつて大阪に通勤しているときは、京都に近づくにつれて頭痛が直りました。

住まいの近くには、江戸川橋から神田川沿いの桜並木が散歩道でした。

かつてあったフォーシーズンホテルのイルテアトロは懐かしいレストランです。

目白新坂から椿山荘への坂道の銀杏並木も都心とは思えない程癒されました。

銀座まで12分池袋まで7分の住まいは、仕事が終わった後でも、

リフレッシュ出来る環境がふんだんにありました。

東北6県の中心地仙台への転勤も仕事以上に最高の観光拠点でした。

社命で転勤しなければ、東北の本当の良さを知ることは無かったでしょう。

仕事は死ぬほど大変でも、緊張と弛緩の差が大きいほど余暇が充実します。

転勤先はどこも絶好の勤務地であり最高の観光地であり休暇地でした。

転勤こそワーケーションを実現できる最高の手段です。

ワーク(働く)とバケーション(休暇)を組み合わせたワーケーションとは、

いつでもどこでも、仕事も遊びも区別なく生活する生き方のことかも知れませんね。

ホスピタリティを知った原点は奥能登ペンションだった2021

1978年(昭和53年)に大学を卒業し、新入社員で入社した11月、
23歳になってすぐに結婚しました。

最初の勤務地が石川県の能登半島で、
富山市内から100km以上も離れた奥能登へ毎日車で通っていました。

仕事は、能登半島にある10軒の公立病院を新規開拓することでしたが、
1年間成果が出ず毎日走るだけの日々でした。

夏場は海岸線を走る県外ナンバーの車やバイクによくすれ違いましたが、
冬ともなると、ひっそりとした海辺には人影は無く、
岸壁を乗り越えてくる波に、恐怖さえ感じながら走る毎日でした。

営業車に新車のスターレットが支給され、当時テレビコマーシャルに流れていた、
ラリードライバーの神様アンダーソンを真似て1日200kmを疾走していました。

300k近く走る時は宿泊の許可がおり、流行のペンションに泊まることが出来ました。
ペンションは中年のバイク族や、恋路海岸を目指す若い女性達で賑わっていました。

当時の奥能登ペンションは、オープンして10年位の草分的存在だったと思います。

オーナーは、「癒しを求め、何百キロも先から、奥能登を目指すんですよ!」と、

誇らしげに話していたように思います。

今思えば、フィールド・オブ・ドリームスの野球場を目指すシーンに重なる思いです。

8部屋?のペンションは、1年を通じて関東方面からの客で賑わっていたように思います。

ペンションには毎夜ギターを抱え、コーヒーを飲みにくる地元のお兄さんがいました。

金沢から130km離れた陸の孤島にある漁師町のペンションは、

都会のオアシスだったのかも知れません。

当時、奥能登ペンションのオーナーは、GHQが保養施設として接収した、

また、吉田茂元首相が来館した、更に昭和天皇・皇后が食事を摂るなど、

栄華を極めた湯涌温泉の白雲楼ホテルの子息だと本人から聞いた記憶があります。

東京に事務所を構える現役のカメラマンでもあったオーナーは、

陸の孤島の「奥能登ペンション」を、旅行会社やマスコミに紹介し、

あらゆるチャンネルを使って集客ルートを多方面に確保していました。

記憶が確かであれば、ペンションの前の道を「奥能登シルクロード」と名付け、

出版社に道の由来を投稿し、集客方法の一つとして情報発信していました。

「御陣乗太鼓も、過疎化対策の地道な活動の結果、無形文化財に指定された」

「例え、史実の断片でも命名することで、歴史のロマンが人を寄せつける」と言っていたように思います。

「一つに固執するのは愚かなり」が口癖だったオーナーは、

ある時「おにぎり部隊」を作って、父兄達と一緒に学校行事に参加していました。

地元客をペンションに呼び込む為の地域戦略の一つでした。

ペンションは建物を始め、テーブルや椅子など安価な什器が多かったように思います。

多面的な高い集客率と、確実な返済計画に基づいた経営戦略だったようです。

退職後夫婦が空き部屋を宿泊施設とするPension(=年金)を実現したのかも知れません。

いつも笑顔で朗らかに話しかけるオーナーがいるペンションはとに角居心地が良かった。

足の不自由なオーナーは、ホテルに滞在しプールで過ごすことが好きなようでした。

その経験が客が好むホスピタリティを、ペンションで実現出来ていたのかも知れません。

客がジムやプールを共同利用できる新たなペンションリゾートを開発中と教示され、

現在のペンションを、オーナーとしてやってみないかと誘われたことがありました。

悩みに悩んだ末、「やります!!」と言いに行ったオーナーの、奥さんの最後の質問が、

「宿泊業は、好きですか!」でした。

ペンション経営は2足の草鞋を実践するための手段であり、

奥能登ペンションは修行の場として考えていました。

朝早くから晩遅くまで客に接する仕事は、自分の性分で無いことは分かっていました。

親身に引き留めてくれる上司のお陰もあり、定年まで勤め上げることができましたが、

ホスピタリティとは何か?について、その本質を考えるきっかけになりました。

そのことで多くの成果を上げ、結果として多くのホスピタリティを経験できました。

いま自分に出来ることは何か?を考え一つずつ実践することで結果に繋がりました。

ホスピタリティは得ることより与える方が、本当は喜びが大きいのかも知れませんね。