京都大原の魚山大原寺勝林院は釈迦の教えを「声明」にのせて伝える2020

京都大原の漁山大原寺勝林院とは

京都大原三千院から北の方に歩いて100mの所に、魚山大原寺勝林院(ぎょざんだいげんじ しょうりんいん)という天台宗のお寺がある。魚山大原寺は往生極楽院、勝林院(しょうりんいん)、来迎院及び小寺を統合した総称名である。また、魚山大原寺は、声明(しょうみょう)の中心地であった中国の山東省東阿県にある「けわしくて大魚の姿あり」とする山の名前「魚山」に由来し命名している。声明とは、僧侶が唱える仏教音楽のことであり、魚山大原寺は天台声明発祥の寺である。

勝林院は声明(しょうみょう)発祥の寺

伝教大師最澄は、中国から天台の教えと同時に声明も伝え、後に、慈覚大師円仁(えんに)が体系的に伝え、良忍(りょうにん)が京都大原に声明の道場として魚山を開き今に伝えている。平安時代には声明と雅楽・舞楽との合奏曲も作られ、浄土信仰とともに隆盛を極めたとされる。

声明(しょうみょう)は五明(ごみょう)の一つ

古代インドの学問の分類であり、仏教において「内(ない)の五明」と「外(げ)の五明」に区別され、「内の五明」は、声明(音韻学・文法学)、因明(いんみょう 論理学)、内明(ないみょう 宗祖の学問及び仏教学)、工巧明(くぎょうみょう 工芸・数学・暦学)、医方明(いほうみょう 医学)とされた。また、「外の五明」は、呪術明(じゅじゅつみょう 呪術)、符印明(ふいんみょう 呪符・呪印)に分類されている。

日本の声明は、中国の紀元前403年以降の春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)に生まれた陰陽思想五行思想を組み合わせた複雑な韓陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)に基づいた音楽理論が基礎となっている。

声明は口伝(くでん)だった

声明は本来、口伝(くでん)であるため伝授には困難を極めた。後世に楽譜にあたる墨譜(ぼくふ)、博士(はかせ)が考案されたが、声明を正式に習得するには指導者に教えを乞うことが必要不可欠であった。
天台声明は最澄が伝えたものが基礎となり、融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗へと繋がっている。現在においても、天台宗では法要に声明は行われ天台宗のホームページにおいて、YouTubeに「三礼(さんらい)」、「如来唄(にょらいばい)」、「散華(さんげ)」、「四智讃梵語(しちさんぼんご)」、「四智讃漢語(しちさんかんご)」、「諸天漢語讃(しょてんかんごさん)」が公開されている。

勝林院の阿弥陀如来は証拠の阿弥陀

勝林院のお堂に安置され阿弥陀如来坐像は、「大原問答」の折りに奇瑞(きずい:不思議な現象)を表わしたことから「証拠の阿弥陀」とも言われている。

勝林院住職の顕真(第61代天台座主)が、法然(浄土宗の開祖)を招いて、延暦寺・金剛峯寺・東大寺などの高僧らとともに念仏の教えについて問答を交わした。

法然は白熱する論議の中で、念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できると経典を引用しながら説きました。すると、阿弥陀如来が光を放ち、法然の主張が正しいと証明したとする。阿弥陀如来は「大原問答」のとき、手から光明を放ち法然が正しい証拠を示したとされる“証拠の阿弥陀”が祀られている。
本堂ではボタンを押せば声明(しょうみょう)が流れる。

仏教の開祖、釈迦・仏陀・ゴータマ・シッダッタ

仏教の開祖である釈迦(しゃか:仏陀、ゴータマ・シッダッタ)が生まれた紀元前5世紀のインドにおいては、文字は普通に使われていたものの、文字は商用や法規の公布などに限られていたようだ。
また、書くことによって聖典(徳が高い高潔な人の教え)に対する敬虔(けいけん:深く敬う心と行い)が損なわれると考え、文字にせず心の在り方と正しい行いを習得するよう教えられていた。

しかしながら、釈迦の入滅後まもなく、釈迦の教説を正しく記録し伝えることが必要との解釈から数百年経ってようやく文字にされた。その後、釈迦の教えを解釈する研究が続き学問になった

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