拝啓 父上殿、義母の墓に入ります

 

自分と妻の遺骨を義母名義のお墓に納めることにしました。

亡き義父のお墓に、義母と妻と一緒に納骨することにしました。

 

二十歳のとき父が用意してくれた墓地を放棄しました。

墓地を手放すのは申しわけない気持ちで一杯でしたが

その墓をお参りするのは自分達でないことに

60年経ってようやく気づきました。

墓地は管理費や掃除まで実家にまかせっきりでした。

遠方に終の棲家を構えた時点で考えるべきでした。

 

墓は同じ時代を過ごした縁者が集う場所として

どんなに忙しくても、どんなに遠くからでも

親兄弟が集まるピンポイントの場所であり

先祖代々の絆の場所でもあります。

 

 

東日本大震災のとき、

至るところで墓石が真っ二つに折れ

墓地一体が崩れた、無残な光景を目にしました。

数年をかけ次第に復興していきましたが

先祖への畏敬(いけい)の表れだと実感しました。

 

自然災害の光景を見るにつけ不滅のものは何もない。

大自然の前ではつねに人間の弱さを感じますが

何もかもが無くなっても、逞しく生きる姿は尊く

人々に勇気と希望を与えました。

 

お墓が無ければ先祖を偲ぶ(しのぶ)ことが出来ない。

お墓を壊れたままにしておくと罰が当たる。

お墓がないと不幸になる。

仏壇の位牌は精神の魂が宿り墓は肉体の魂が宿る。

墓は先祖への感謝と近況報告が出来る唯一の場所。

様々な表現で墓の意義を唱えていますが

人が生まれ、人が死ぬ自然の摂理の中で

墓はどういう役目を果たすのでしょうか。

 

一人っ子同士の結婚や、子供が娘だけの場合に限らず

法事や墓の維持管理には相応の費用がかかります。

子供達には、

我々夫婦が亡くなったあと、かぐわしいお香と一輪の草花を

供えて貰えればそれで十分だと心から思っています。

毎日を明るく朗らかに生活してくれることが

自分や妻にとっては何よりの供養であり

最も魂が安らぐことだろうと想像します。

 

私たち夫婦は、たとえお墓が無くても仏壇がなくても

苦しむことも悲しむことも一切ありません。

三千世界を忙しく飛び回っているので

狭い墓や仏壇にはジッとしていられないのです。

私たちに願い事や、相談があれば

24時間365日どんな場所からお祈りしても

瞬時にキャッチしますから安心して下さい。

 

子供たちは、私と妻が亡くなるころには

いくつもの墓をハシゴしなければならなくなるかも知れません。

もし万が一、墓を整理しようと思うならば

墓の解体・撤去・更地費用、遺骨の取り出し費用、新墓地使用料

開眼魂入れ費用、納骨法要費用、改葬手続き費用、納骨供養費用

お布施、檀家解約費用、埋葬証明書、改葬など寺院や解体業者に

数十万円から数百万円の様々な費用が発生するようです。

法律違反さえしなければどんな方法で処分しても大丈夫です。

 

義母所有の墓は清水寺の三寧坂(さんねいざか)にある

お寺の建物の中にあるロッカー式の墓地です。

世界からの観光客が行き来する景勝地にあり

四季折々のこの場所は観光にも最適なところですが

無くしても恨むことはありません。

全く問題ありません。

 

一方、義母には墓地はありますが菩提寺がありません。

義母亡きあと葬儀を執り行う葬儀屋も住職もいません。

一説では、菩提寺と違うところで葬儀を行った結果

納骨を拒否され菩提寺で葬儀をやり直したとか?

意味不明な話しが多々あります。

義母の墓地の寺務所に聞くと、昨今、遠方で葬儀を行い

納骨される方が増えた。と聞きホットしました。

自分たちが義母を見送ることを想定して

義母が最も喜ぶ準備をしてあげたいと思いました。

 

碑石(せきひ)で墓を造ったのはむかしの権力者でした。

宇宙を形成する五大元素、地・水・火・風・空になぞらえ

肉体を五大に還元し、極楽浄土へ往生させる目的で

五輪塔(ごりんとう)が造られたようです。

普通の人の墓は、共同埋葬地に土葬をしたり石を置いたり

木の杭を建てたりしたものだったようです。

昨今も、共同墓地や永代供養墓が広まってきているようです。

 

なぜ、人は葬式に行くのか?

祖父曰く、「自分もいつかその身なる」その姿に接し

いま、生かされていることに感謝しながら

触れ合う人に報恩で接するよう自を戒めるため。

と聞いた記憶があります。

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