トイレと距離感から学ぶ人間の自尊心と尊厳2022

施設では、トイレでの排便に尊厳を保つ

介護に従事する専門家は、介護を受ける人の立場や、

気持ちをよく理解することが大事だと言われている。

その介護を受ける人の気持ちを、体験から学ぶ方法の一つとして、

介護従事者がオムツをして手足をベッドに拘束した状態で、

身動きが出来ない環境をつくることから始まります。

講師は、下痢便になるよう体調を崩し準備をしていました。

しかしながら、オムツの中で排便する経験こそが、

介護を受ける人の芯の気持ちだと、理解し確信しながらも、

排便の寸前までここまでやるのか?と葛藤しながら排便しました。

その瞬間、オムツからはみ出した、生暖かい便がお尻の周りから、

腰から背中にかけて、じわっーとしみ込んでくる状態に驚愕しました。

オムツとパジャマと布団の温もりが、便の生暖かさと重なり、

この世の元とは思えない鮮烈な状態を向かえました。

言葉に表すことが出来ない不快感は惨めであり拷問でした。

しかしながら、身体が感じる不快さ以上に、強烈だったのが悪臭でした。

自らの便の悪臭が全身を包み込み、地獄絵図の中でジッと耐えるしかありませんでした。

拘束された状態を放置することを命じていたため誰も助けには来ません。

人間としての自尊心も威厳も何も無くなった無抵抗な肉の塊でした。

施設でオムツをしている人の殆どは毎日この拷問に晒されていると思いました。

この現実を以下に回避出来るかが、入居者に寄り添った理想的な姿だと思いました。

人間の自尊心(自分自身を尊重する気持ち、プライド)と

尊厳(とうとくおごそかなこと、気高く犯しがたく、気高く威厳がある)を

排泄という行為を通じて、入居者の生活環境を整えることを目指しました。

最後に虐待は、普段の何げない身近な生活の中に存在していることに気付かされました。

家の中では、距離感が尊厳を保つ

義母は階段を上り下りし、一人で食事をし、一人でトイレに行き、一人で入浴する。

結婚して45年の夫婦、義母との3人暮らしは老々介護とも言えるが、

91歳の義母は要介護1でも、幸いに身体は至って健康です。

それでも妻は甲斐甲斐しく日々母親の世話をします。

微笑ましくもあるが、義母の言葉の少なさと表現力の乏しさから、

期待通りの反応が得られないことに妻はストレスを感じることがあります。

妻と母が一緒に過ごした時間以上、3人はそれぞれ違う生活をしてきました。

当然ながら親子でも見て聞いて感じることは違って当然ですが、

衣食住すべてにおいて、経験と知識の違いから一挙手一投足気になります。

お義母さんは、前と何も変わってないよ!と言っても、

身びいきか、妻と母の幼い頃からの絆が、2人の距離感を縮めていきます。

親であれ子であれ、人が人と一緒に生活することは大変なことだと思います。

だからこそ、人と人とが混ざり合って生活することに価値があると考えています。

100%いい話にも、1%の誤りがあることを知らなければならない。と考えています。

老々介護では、人の話を最後まで聞くのは大変なことですが、

「人の話にも一理あり」という大らかな気持ちで、最後まで話を聴き取ることが大事です。

それはそれこれはこれと、是是非非(ぜぜひひ)で話をする余裕が欲しいものです。

「血縁」の2文字が分別を無くします。

他人ならまだしも、親となった瞬間に距離感が短くなります。

他人であれば冷静にできることが、親兄弟ではスウィッチが入ってしまう。

姿勢を正し目線を遠くにすることで、視野が広がり些細なことに気付くことがあります。

前のめりにならず、一歩引いて接する知識とテクニックが必要だと思います。

親子こそ「人は人、我は我(ひとはひとわれはわれ)」が必要です。

親も子も、わずか数十年の時間差で家族としてともに生活を送っています。

偶然ではなく、必然として巡り合い、一緒に生活することを約束してきました。

子供は親から旅立つために、親と言うハードルを乗り切ることを、

使命として切磋琢磨しています。

子供にとって家庭は一人の人間が逞しく生きるための、

生き方を学ぶ方便であり、旅立つための踏み台なのです。

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