それって、高齢者の虐待じゃないの!2022

高齢者は階段から落ちたら寝たきりになる

同年代の喫茶店のマスターが、

「母親が施設に入っているから、遠くに行けないー」

「いつ連絡があるかも知れないと思ったら、何処へも行けない」

「確かに、それは気ぜわしいねぇー」と私が言うと、

マスターから「お宅のところは?」とわが家の事情を聴いてきた。

「うちの義母は、毎日2階まで階段上がって来ますよ、91歳だけど」

「歩けるうちは、自分の足で歩くのが一番!」と持論を述べたが、

「それって、高齢者の虐待じゃないの!」

「階段落ちたら、寝たきりになるよね」とマスターの思わぬ言葉。

一理あると思い、「確かに、骨折が原因で寝たきりになるねぇ」

「それでも、自分で出来る内は自分でやるのがいいですよ」と反論。

客からオーダーが入り、虐待の2文字が尾を引きつつ店を出た。

高齢者も一人で出来る内は一人でやる

高齢者が1日に階段を何回も上り下りするのは普通ではないかも知れない。

義母と同居する我々夫婦もまた同じ高齢者、危険は十分承知しているつもりだ。

危険を回避する手段を考えることは可能だが、普段の義母の行動から、

その気遣いは必要が無いように思う。

むしろ、我々夫婦自身が、あの年齢で同じ動きが出来るか、疑問だ。

義母を見ていると人は人我は我

何事も気に留めない性格が、元気の秘訣かもと思うことがある。

階段の上り下りや、手押し車で医者へ行きその足で薬局へ行くなど、

昔の苦労からしたら階段の上り下りなど大したことでは無いのかも知れない。

食事もガッツいて食べる様子は、たくましく強い生命力を感じる。

「一人で出来ることは一人でやる」という考え方は、義母から学んだかも知れない。

だから、毎日の階段の上り下りは「もう上がれない」と言うまで、

見守って行こうと思っている。

最近では義母を見習い、夫婦でスクワットとクランチとプランクを始めた。

    

そもそも、高齢者の虐待とは

確かに「91歳の老婆が毎日何回も階段を上り下りする」と人が聞いたら、

「大改造!!劇的ビフォーアフター」を推薦するかも知れないと思った。

他人からは様々なシチュエーションが「虐待」に映るかも知れない。

そもそも、一般的な高齢者の虐待の概念は、

❶保護を怠る

❷世話を怠る

❸介護を怠る

❹放任する行為

ケアマネジャーとの綿密な連携からも、わが家ではその事実は無い。

そもそも高齢者にとって上げ膳据え膳は決して居心地がいいとは言えない。

食事もそうだが、特に排泄を手伝って貰うのは、

本人にとって大きな屈辱を伴うことを理解しなければならない。

高齢者は見守る

「見守る」という考え方は、介護の現場に限らず、普段の生活でも必要なことだと思う。

とは言え、それほど簡単な行為ではなく、相当の忍耐と余りある愛情が求められる。

一例として、オムツの中で用を足す前に、トイレで排泄できるよう、

食べ物の量や、咀嚼する回数、水分摂取量など日々の食習慣を把握、

排便時間を数値化し、漏らす前にトイレに連れて行くのも見守りという行為から始まる。

忍耐力と愛情と情報力が、人間の自尊心と生きる価値を見出し、尊厳を与える。

年よりだからと言って直ぐ手助けするのでは無く「先ず見守る」がいい。

コールサインが出た時、初めて手を差し伸べるゆとりが必要だ。

これもまた、難しいことだ。

「ありがとう!」と言う感謝の言葉がすべてを解決するが、

時には感謝の表現をトレーニングしなければならないことを理解する必要がある。

高齢者との対等の意識が必要

誰と話す場合でも、体の向きと目線の位置を考え会話することが重要。

家族が高齢者と話す場合は特に、真向いに座り、目線の高さを合わせ、

「話を聴こう」という姿勢を物理的に整えることが必要。

見上げての会話見下げての会話は、いずれ不満が爆発しミッションは中断する。

一方、介護施設の現場では、腰をかがめ見上げて話すのが常識になっているが、

家の中では、義父母も実の父母も、対等の立場で接する強い覚悟が求められる。

親子だからこそ、毅然と接する態度と覚悟が望まれる。

最も重要なことは、家族同士が前のめりにならないことである。

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